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   田中塾長 日記


令和7327

「後楽園ホールと泪橋」

 後楽園ホールに、知人のキックボクシングの試合を観に行って来た。
 後楽園ホールに行くのは7年ぶりであった。

 ホールの雰囲気は、平和な老若男女アットホームで普通のスポーツ会場と同じ雰囲気であった。

 私がキック時代に属してた連盟は、恐い顔の男ばかりが集まり殺伐とした雰囲気であったが、
時代の流れで変わってゆく空気に物足りなさと寂しさも感じたりもした。

 そして一番心に残る場所は、ホールに向かう橋で、試合に向かい渡る時は、闘志と殺気をみなぎらせながら渡り、
試合を終えた帰りは敗北と屈辱を感じながら渡るか?勝利で爽快な気持ちで渡るか?のどちらかであった。

 喜怒哀楽がすべて詰まっている後楽園ホールと共に、この後楽園ブリッジは私にとって「泪橋」なのである。








令和722

「香取神宮・鹿島神宮」

私の新年の心のスタートは、この場所からスイッチが入る。

毎年極寒の中で不思議な現象が起こる。


香取神宮奥宮の神に新年の挨拶をして手を合わせ心で語りかけると、
身体が熱くなり額に汗もでてくるのである。


なぜだろう………?


参拝の後は、いつも送迎をしてくれる地元のくにさん(中島久仁夫)と,
行きつけの新川食堂名物のオムライスを食べながら深い話を長々としていったのであった。












令和7年1月3日

「靖国神社」

今年の大晦日の靖国神社参拝は、田中塾からは三名が参加した。

宮司さんから、今年の新しい花と是非写真撮って下さい、と勧められて、

とても綺麗で特殊な花と撮らせて頂いた。

今年は、平井さんが遅れて来てみんなに迷惑をかけたが、

最後は屋台の出店でみんなで食べながら、楽しく話をして過ごしたのであった。


 





令和6年12月24日

忘年会」

早くも忘年会がやってきた。

 

ジム生1人ずつ、みんなの今年に起こった良い事や悔しかった事と

来年の目標を聞かせてもらう。

 

毎年この時が私の楽しみでもある。

 

今年の忘年会も美味い肉を食べながら、くだらない話から深い話まで、

みんなと長々と楽しく話したのであった。











令和6年12月14日

「再会」

27年ぶりに再会した。

 

私が昔、米国修業中に練習仲間であったマエダケイさんと27年ぶりに会った。

ロスで生活してた時の事と、イノサントアカデミーでの思い出話に花が咲いた。

ケイさんは現在フィットネスショップのスタッフになっていた。

 

また、飯を食いながら会う事を決めてその日は別れた。

相変わらずの笑顔と早口の口調でケイさんが元気で良かったのであった。

 





令和6年10月23日

「25周年」

1999年1月14日に田中塾を結成して25年になった。

津田沼田中塾時代が6年、船橋武道センター時代が5年、現今、田中塾が14年となる。

よくもまあこんなに永く続いているものである。

もちろん苦難と試練もあった。

中でも2005年4月18日に、原爆を落とされ全てを失った時は、もう格闘技を止めようとさえ思った。

だが私についてきてくれた道場生達がいた。

イランとロシアの仲間達からも励まされた。

私のような人間を応援してくれる人達がいた。

そして新田中塾常設ジムを設立して、新たに構える事ができた。

本当に感謝の気持ちである。

新ジム設立後も初心を忘れず、「格闘技に嘘をつかない、妥協しない」事を自分自身への
法律を定め続けている。

もちろん時代の流れに合わせ、寄り道をしなければならない道もあったが、歩みを止めずにすぐに
元の真っ直ぐな道に歩き直してきた。


私は、永遠にこのまま「キレイなバカ」で真っ直ぐ歩いていきたい





令和6928

 「生い立ち」

もう数年プロ興行の格闘技の試合を見ていないが、自分の教えた弟子達の試合が1番の楽しみである。

私は多くの選手を育成してきたが、元暴走族の少年がリングに上がったら緊張してかたくなってしまい

何もできずに負けた場面や、アニメオタクで1度もケンカをした事がない少年がリングに上がったら

野獣のように相手を倒して勝った場面も見てきた。

初めての格闘技の試合では、ジムで練習した事はほとんど出せなくて、3試合目ぐらいからようやく

練習してきた成果がでるものなのである

初の格闘技の試合ではその人間の「生い立ち」がでる、私はその生い立ちを見るのが1番の楽しみなのである。

今回出場する2名の生い立ちをじっくり見る事とする。



令和6年5月7日

「創価大学」

創価大学に初めて行って来た、飛鳥さんに頼まれ(飛鳥信也・MAキック、
全日本キック統一ライト級王者・平成元年4月東京ドームでベニーユキーデと
戦った伝説のキックボクサー)創価大学キックボクシング部丈夫会の昇段審査と
総合格闘技セミナーを行い、最後は若者達の悩みや質疑応答を私が答える事
となった
、親子ほどの年齢差があるので私の言っている事が理解してもらえるのだろうか?
とも思ったが皆真剣な眼差しで理解して聞いてくれて安心した
日本は今若者の人口減少もあるが高校、大学共にスポーツ部員も減少している、
ここで丈夫会は格闘技の魅力を生徒達に伝え部員が増える事を期待したい❗








令和6年4月30日

「柔道部物語」

日本の格闘技界において柔道が最高峰である、選手人口、知名度、世界各国の柔道場の数、
そして最強の強さと技術等も含め格闘技の最大公約数となる
ジムで着衣格闘術クラスとして柔道を母体として練習しているが高校柔道時代にやり残した
事が込み上げてきて、気がつけば4月から講道館に通っていた、手続きの際に高校時代に
取得した昇段のデータが今でも明確に残っていた事に驚きもした
壊れた身体で若い選手達に投げられながらも新しい発見もあり充実した練習をしている
早速私は講道館で問題を起こしてしまう事となってしまったが、嘉納治五郎先生は笑って
許してくれた事であろう
三五十五と同じ年である私は五十を過ぎて柔道部物語がまた再開となったのであった。






令和6年4月10日

「安らぎ」

野暮用でもあるが旭川に行って来た、北海道が好きで毎年必ず訪れる所であるが道内の中でも
私は旭川が一番好きである、痛めている身体の為に温泉に浸かった、自然の中で温泉に浸かり
身体の痛めているとこが和らいでいくこの時が何とも言えない心地良さで幸せを感じる時でもある
また再開する事もあり心をリセットする為にも良かった
自分の道をゆくとする







 

令和6122

「香取神宮・鹿島神宮」

私の新年のスイッチはこの場所から入る、

最近ではパワースポットとしてTVや雑誌等で紹介されているようで来る人が増えてきて、
四足獣と一緒に神社内を歩く非常識な者も増えてきた、穢を理解していただきたい

帰りは予科練平和記念館をじっくりと見学させていただいた

私の新年令和六年が始まった

今年も我が道をゆく







令和616

「大晦日〜新年」

大晦日は靖国神社で静かに参拝、今年は暖かくてTシャツ姿の人もいた、今年の参加者は
少なかったが参拝後にみんなで雑煮を食べて更に身体が熱くなった

元旦は地元の船橋大神宮へ参拝に行き神棚も古札から新札に変える

今年もやってくるであろう苦難と災いに備え精神統一と不動心を心に秘めるのであった。





 

令和51228

「忘年会」 

毎年恒例みんなで大掃除をして綺麗になった後に忘年会をめ始めた。
国産
A5和牛食べ放題と特製メンチ、
この美味しい肉を好きなだけ食べる機会はめったに無いであろう、正に田中塾特権特でもある。

今年は大食いの山田が参加してなかった為に肉が残ってしまっていたみんなが
美味しく腹一杯食べて、
一人ずつ今年の話と来年の目標を聞きながら楽しい忘年会であった。









令和5年12月25日
「安らぎ」

今年の行事とゴタゴタも終わりクタクタに疲れた私は少しの安らぎを求め自然とひとけのない静
かな場所に行きたくなる。
大好きな北海道に行こうと思ったがそれも億劫になっていた。

私が近場でやすらげる場所は成田山である。

平和大塔の不動明王様に手を合わせ心で語りかける、私一人しかいない静かな何とも言え
ない感慨無量空間の公園から平和大塔をしばらく眺めていた。

そして帰りはいつも通り栄養補給で大好物の鰻を食べる。
成田山周辺には多くの鰻屋がありどこの店も美味しいのだが鰻好きの人が大きく分ける
と「駿河屋」派と「川豊」派の2つに分かれるが私は駿河屋派でありこの日も最高のうなぎ
をいただいたのであった。





令和5年12月20日

「田中塾OB」

旧田中塾時代の弟子であった秋谷、中村、藤田の3人が私を訪ねて挨拶に来た。
久々に再会して3人の現在の近況と昔話で盛り上がった。

当時の彼らとの練習と試合の激闘は今でも私の記憶に残っている、そして3人がどうしても私の歌が聞きたいと言うので
飯を食った後カラオケとなり水木一郎さんの歌を熱唱したら、3人共に、昔の練習を思いだします!!と喜んでいた。

疲れ切っている私がエネルギーを欲しいのだが、逆に私が彼らにエネルギーをプレゼントしてしまったのであった。



令和5年11月30日

「勝訴」

正義が勝つ


ここで全てを書く事はできないが、田中塾のジム生と私の周りの格闘技関連の人達はこの1年以上の裁判での
戦いを知っている。

デタラメで理不尽な事、理不尽な人間達を相手に反論して反論分を書く。
私は文章を書く方は得意ではあるが、真実と正論が認められるまでが大変であった。

時間、労力、お金も使い精神的ストレスもあった。
それでも絶対に敗訴となるわけにはいかない。

そして事もあろうに、曲がりなりにも格闘技をやってる身でありながら、
相手側に加勢する厚顔無恥な稀代の馬鹿と稀代の阿呆も出てきて、格闘技関連のみんなが怒りを通りこし驚く事もあった。
だがそんな半端な付け焼き刃など真実と正論の前には通用しないのである。

これから後に続く未来の全国の格闘技ジム・道場の為にも私が良い判例結果を残さなければならない使命感に
一切の妥協をしなかった。

この私の状況に多くの格闘技関連の方々、格闘技ジムの方々から応援のメールや電話もいただき、田中塾のみんなも
いろいろと協力してくれた、本当にみなさんありがとうございました。


最後にもう一度言う


正義が勝つ




令和5年9月19日

「千葉公園体育館」

千葉公園体育館が閉館となり67年間の歴史に幕を下ろした。


この体育館は、私が少年時代に初めてプロボクシング、キックボクシング、プロレスを見に来た会場であり、
昭和時代の少年マガジン連載漫画「四角いジャングル」の実際の登場人物達を見たのもこの会場であった。


特に、キックボクシング興行の時は観客席にパンチパーマの怖いおじさんばかり集まり、歓声より怒鳴り声が
館内に響く独特な雰囲気であった。
それでもリング上で血まみれになりながら一生懸命戦う選手達に、少年だった私の心は燃えて心を打たれたのだった。

プロレスの時はスタンハンセンとアンドレザジャイアントに突き飛ばされた事が思い出に残っている。

67年間お疲れ様でした、たくさんの感動と思い出をありがとう千葉公園体育館。


さよなら千葉公園体育館




令和5年8月15日

「レジェンド達の魂」

帝王・水木一郎の居ない会場で初めての観戦であった去年は、森本英世さんとの初共演で
「行けタイガーマスク~タイガーマスク二世」を聞く事ができて夢のコラボであった。

水木さんが居ない今、どんな空間になるんだろうかと思いながら会場へ向かった。


レジェンド達の歌はやっぱり最高だった。

このメンバーが集結して歌を聞けば感動であった。

特にチャーリー・コーセイさんの「ルパン三世のテーマその2 ルパンザサー 水木一郎の歌ルパン三世愛のテーマ」を歌い、
そして尾藤イサオさんの「あしたのジョー~傷だらけの栄光~美しき狼たち」の時は、私の心は完全に響くのであった!

レジェンド達の歌でエネルギーをもらい更に私の力が漲るのであった!


さて、私は正義を貫くために倒しにかかる、潰しにかかるとする。




令和5年7月11日

「七夕」

今年も誕生日がやってきた


ジム生達からもプレゼントを頂いた。

高級菓子、高級タオル、高級ボディーソープ、正義のベルト等、そしてバースデーソングを歌ってもらいながら
ロウソクの火を消し、みんなで毎年恒例の特殊ケーキ(今年はマジンガーZとグレンダイザーだった)を食べた。


辛い事もあるが、嬉しい事もあるのである。
今年もみんなに祝ってもらい、楽しい1日となった。


田中塾のみんなありがとう!










2023年6月20日

「日曜クラス」

しばらくの間休みだった日曜クラス(11時~13時)を今月より再開した。

日曜クラスはスパーリングは行わず、技術練習を中心として後半は各自自由練習にしている。

試合に出場するわけではないが格闘技練習で心身共に少しでも強くなり、自信がつき健康になれば
それも格闘技の強さなのである。






令和5年4月1日

「原点」

去年6月から新たに始めた着衣格闘術クラス、長年ブランクある道着の着用にも段々と感覚がもどってきて、
そこらの高校生柔道部には勝てるぐらいの強さまで復活してきた。


現代の柔道ルールは昔と変わり、立ち技の攻防は下半身の掴み等が認められなくなり、
ほぼグレコローマン柔道スタイルになっているので、昔の感覚で試合をすると反則負けになってしまうのである。

だが制約ができれば、新しい技術が生まれ、練習をやっていくにつれて日々新たな発見もあり楽しく感じている。


握力も衰え、手の指と身体中が常に怪我の状態であるが、試合ができる強さまで復活したい・・・









令和5年3月15日

「シュートボクシング」

シュートボクシングのアマチュア大会に足立と山田が出場した。
田中塾の多くの他流試合の中で、シュートボクシングは以外な事に初めての参戦であった


2人がいつも出場してるアマチュアキックボクシングでは、組んだ時にレフリーからブレイクが入るが、
シュートボクシングは投げがある為、両者組んだ時の体勢の状態で首相撲で膝蹴りを打つのか投げにいくのか
瞬時の判断とレフリーにブレイクを言わせない自分の攻撃の流れを作る事が勝利へとつながるのである。

結果は1勝1敗であったが二人共練習の成果を発揮して良い試合内容であった。






令和5年3月11日

「不死身のタイマー」

12年間使っているタイマーがとうとう壊れた。
その間何回か故障して直しながら使っていたが、終に点滅もブザーも止まってしまった。


「長い間働いてくれてありがとうお疲れ様でした」と、思いながら新しいタイマーを購入して
セッティングしてる最中に、突然旧タイマーがブザーが鳴り点滅しだした!


ボロボロになりながらも現役をアピールして甦った旧タイマーに驚き、
まるで身体が壊れながらも格闘技を続ける私の自分を見ている感じがした。」、


新しいタイマーを閉まって、旧タイマーを現役続行させる事にした。


私の身には時々不思議な現象が起こるが、また起こったか⁉️と思うのであった。




令和5年2月1日

「武道の神様」

香取神宮と鹿島神宮への参拝は30年になる。


今の自分の現状と心の迷いを手を合わせ心で語り伝える・・・

奥宮の神から声が聞こえてくるわけではないが、体が熱くなり真冬の中身体から汗が吹き出してくる事もあった。


ジム内でも科学で証明できない不思議な事も何度か起こっている。


分かっている事は、私の傍にとてつもなく強い何かが守ってくれているのは感じている。


今年も我が道を行くとする








令和5年1月4日

「大晦日」

靖国神社で静かに参拝


去年は最悪の年であったが自分の試練であると受けとめ、今年は良い年になるであろう。



令和4年12月17日

「水木一郎」

涙が止まらない¨¨¨

8月14日のレジェンドライブでは何とか頑張り3曲歌う事ができたが、11月27日のステージでは車椅子で
うまく会話もできない状態であった。

それでも、堀江美都子さんにサポートされながら、水木さんは必死に一言二言と笑顔で私達にメッセージをくれた。

私は帝王水木一郎の最後をみとどけた。


私の世代は幼少期、少年期時代に、今では考えられない程TVアニメと特撮ヒーロー番組が毎日たくさん放映されていた。
そのほとんどを水木一郎が歌っていたのであり、みんなが水木さんの声を聞き成長して育っていったのである。

私は今でもジムで練習中にも曲を流し、50年以上毎日アニキの歌を聞かない日は無いと言っても過言ではない。

持ち歌1200曲の伝説の男の最後の歌は、「タイガーマスク二世」であった


水木一郎さま

愛と勇気と正義を教えてくれてありがとう。


河口湖での1000曲ライブ、感動させてくれてありがとう。


初めてお会いした渋谷エッグマンの楽屋で「入場曲使ってくれてありがとうございます」と逆に先に言われて感動で
嬉しかった事、ありがとう。


他たくさんの思い出ありがとうございました。

私にとってあなたは唯一無二の永遠のヒーローです。


心よりご冥福をお祈りいたします。




令和4年12月13日

「忘年会」

あっという間の一年である。
12月は皆忙しい為、全員は集まらなかったが、今年も鍋を囲み楽しく忘年会を行った。

田中塾ジム生の特権である、高級国産和牛肉の食べ放題と、特製メンチ(最高に旨い)を鈴木精肉店が用意してくれた。
10キロのA5和牛肉はすぐに食べ尽くされていった、

今年の私の身には、様々な苦難と事件があり続いているが、沈着冷静に不動心で乗り越えてゆくしかない。

そして1日も早いロシアとウクライナ戦争の終結を祈るのである。










令和4年11月20日

「思いこんだら試練の道を」

私は、野球を見るのもやるのも嫌いである、未だにルールも全て解っていない?


だが野球アニメは大好きであり、幼少期にテレビで夢中になり見ていた巨人の星をもう一度内容を再確認したくて、
新たに発売されたDVDブックを第一話~最終話までをじっくりと見た。

アニメながら涙する場面もあった。
やっぱり最高の野球アニメであった。


今の時代にそぐわない場面と言葉もあるが、今の子供達にも見てほしいスポーツアニメであり、
そしてどんな時代にも根性は必要なのである。




令和4年8月5日

「眼力」

私も年を重ね練習量は減らしてはいるが、身体の古傷の痛みと接骨院と歯医者に通院する日々である。

最近は目も衰えた感があり、文字も読みずらくなってきて老眼でメガネデビューか?
と思いながら眼科に行き診察して検査してもらったが、特に異常は無く、視力もほとんど変わらず安心はしたが、
格闘技35年以上の頭から足先の身体の古傷は隠しきれない部分もある。


だが白と黒、 嘘偽りのない純粋な白色と、表面だけは綺麗に誤魔化した白色で実際にはどす黒く汚い黒色を
見極める私の眼力は衰える事なく一生現役なのである。


私を正しい方向に導いてくれる武道と格闘技の神に感謝である。




令和4年7月13日

「身辺警護失敗」

完全な警備体制のミスであり失敗であった。

容疑者との距離は10メートル、1発目の後に安倍元総理を囲み車両に乗せ、警護員1名は警棒を投げつけ
(警棒は投げる為の武器でもある)他警護員は素早くアタッシュケース(防弾、防刃)を広げながら
容疑者を取り押さえるべきであった。

私は現地に居たわけではないが、映像を見る限り人混みではなく、それはできたはずである。

それ以前に、不審者の警戒があれば未然に防げたのであり、暴漢者と格闘する事は最後の手段であり
未然にクライアントを安全に回避させる事が本当のSPでありボディーガードなのである。

過去の塾長日記でも書いたが以前に安倍総理が船橋駅前に演説に来た時は、私がチェックした目では
前後にアタッシュケース警護員6名、人混みにまぎれて4名、デパート屋上から1名車両4名のSPが
完璧な警護体制をしていた。

船橋の時と同じレベルの警備体制が奈良市では何故できなかったのだろうか?

裏がある可能性もあるが・・・

私自身は警察ではなく、民間のSP警護員であるが、何度か危険な状況に遭遇してきたが、
外国の治安に比べれば平和国日本であるが、油断してはならないのである。

日本国の為に8年以上の長い功績を残した安倍晋三元内閣総理大臣のご冥福をお祈りいたします。




令和4年7月12日

「誕生日」


早くも誕生日がやってきた。

特殊ケーキ、A5和牛肉、高級洋菓子、高級茶等を頂いた。

今年もプレゼントみなさんありがとうございました。




令和4年6月11日

「原点」

注文しておいた新しい帯が出来上がった。

高校柔道時代の帯は60kg級だったから今は使えない。

師範や指導者になれば殆んどの人が名前刺繍を金色にするが、私はまだ格闘技追求と挑戦の気持ちを
持ち続けていたいから赤色にした。

着衣クラスを始めるが、心機一転スタートの気持ちよりも、日本でも海外でもいろんな国に行きいろんな格闘技を
やってきて原点に戻り、「ただいま」とゆう気持ちの方が強く感じるのであった。




令和4年5月5日

「全日本柔道選手権大会」

日本柔道界の頂点、そして日本格闘技界の最高峰の舞台である全日本柔道選手権に日本武道館へ久々に行って来た。

ここ数年は、コロナ禍で無観客試合であったが武道館では3年ぶりに行われた。

この日も選び抜かれた怪物達が集結し、最強の座を争う戦いであった。

私が認める少ない格闘家の中の一人である大野将平は、重量級相手に真っ向勝負をしたが体重差の壁に敗れた。

観客は殆どが柔道経験者であるから、選手の地味な高度な技に拍手喝采になる。
この場内の雰囲気が私は好きである。

日本の格闘技界において、全日本柔道だけが唯一の天皇一家が来場されて観戦される格闘技である。

永遠に名誉ある神聖なる最強の格闘技であってほしい、と思い全試合名勝負のトーナメントを見て会場を後にした。

私も柔道出身であり、たまに道着を着用の練習をしていたが、肩をケガした為に一時中断となってしまっていたが
正式に着衣クラスを始める事にした。






令和4年4月17日

「大自然と黙想」

心の迷いやわだかまりがある時は自然に入り溶け込むのが一番である。

大自然が作り上げた豪快な山岩と滝と川の流れの音と風が私の心を洗い流してくれた。

この地は、昔ロシア人とウクライナ人と共に過ごした場所でもある。

今ではロシアは私にとって第二の故郷である。ウクライナにも友人はいるが、その国同志が戦争になり殺し合いになり
知人が死んだ連絡を聞いた時は胸が痛くなった。

国の強さをアピールする場でもある武器なしの戦争にオリンピックがあり格闘技もあるが、
そんな事ではその国どうしが収拾つかずすまされない事情が起きると最終手段の戦争になる。

今の状況ではロシアの事を悪く言う声を耳にするが、ロシア人の事を悪く言うべきではない。

少くとも私が出会ったロシア人は皆良い人で義理人情に厚く、私がロシアでの生活等で困った時は
何度も助けられたのである。

ここで多くは語れないがロシアにはロシアの戦わなければならない主張があり決断をしたのである。

私が軍国主義で戦争が正しいと言っているのではない。

アメリカに媚びを売りアメリカに守られている平和しか知らない今の時代の日本人に
ロシアとプーチン大統領の事を悪く言われる筋合いはないのである。


ロシアとウクライナの1日も早い終結を祈る。






令和4年2月10日

「武道の神様」

今年の参拝は2月になってしまったが、香取神宮の神と鹿島神宮の神に手を合わせ心で新年の挨拶をする。

背中が熱くなりエネルギーをいただき、ジムの神棚の木札を新しく変えて令和四年が始まる。












令和4年2月7日

「結果オーライ」

中島みゆきの歌が好きな私は新発売を即購入した。

この音源と映像はツアーコンサートが収録されているが新型コロナウィルス拡大により途中でツアーは
中止になったが、舞台裏等の映像も撮っていたためそれも収録し、CDとDVDにうまく収録できて結果的に
出来上がりタイトルの通り最終的に結果オーライとなりました、と中島みゆき自ら言っていた。


様々な波瀾万丈があった私の人生今現在50年ちょっとであるが「結果オーライ」であると思っている。




令和4年1月20日

「コロナ禍」

長引くコロナ禍がまた拡大する状況の中、1月の大会に出場する足立と山田が減量で
ガリガリの身体になりながら頑張っている。

うちのジムは幸い感染者0人、ジム退会者も0人であり油断をせず練習環境も変わらずである。

ジム生の頑張りが私にとってのエネルギーにもなる。
二人の試合に期待したい。




令和4年1月2日

「大晦日〜元旦」

大晦日は例年通りの靖国神社参拝である。
今年は極寒の中であったが、それでもいつもの人達と共に参拝をして、つのだひろさんとも久々にお会いできた。

令和三年は様々な問題と事件が起こり苦労したが、生きる事は闘いであり、生きてゆく中で苦難は避けては
通れないのである。

今年は寅年、不動心を心に秘めながら攻撃体制でゆくとする。

元旦は私自身の恒例である腕立て伏せ千回であるが、最近痛みが酷く四十肩?五十肩?の痛みでできずに
衰えと情けなさを感じながら銭湯へと向かったのであった¨¨¨






令和3年11月28日

「初代チャンピオン」

私の修斗時代の先輩である、関島さん(修斗初代ミドル級チャンピオン)に会いに長野県飯田市まで行って来た。

関島さんが去年地元に接骨院を併設してジムをオープンして、私がマットシートを提供して施工の説明も兼ねて、
もっと早く飯田まで行きたかったが、荒れ狂う多忙で遅くなってしまっていた。

久々に関島さんと会い、お互いの近況話と昔話や格闘技の話が長々と続いた。

滞在中は、生憎の雨となり美しい紅葉と星空は見れずに残念であったが、それでも気持ち良い温泉に入り
真の十割日本そばと地元の美味しいものを食べて、姿見不動の滝も見る事ができて、日本昔話の風景に
私の心は癒された

30年前日本の総合格闘技界で、関島さんは無敗のまま初代チャンピオンとなり本当に強かった。

グレイシー柔術来襲時代の時、私は皆に総合格闘技の行方とやらなければならない備えを言っていたのだが
当時の選手達は理解できずにグレイシー柔術のスタイルにただ便乗してしまった。

私の理論に理解して賛同していたのは関島さんだけであった。
そして数年後に総合格闘技の状況は、ほぼ100%私の言った通りになっていったのであった・・・。

スーパータイガージムが成田にあった頃は、関島さんとジム住み込みで練習して生活をしていた。
同じ釜の飯を食べた同士となるのだが、関島さんはやわらかいご飯が好きで、私は固めのご飯が好きで、
各自別の釜で炊いて食べていたのであった。








令和3年9月30日

「真実」

2004年にロシアで真実を見て確証した私は、それ以来上の世界しか興味がない。
醜い着色料を使った下の世界のどんぐりにはもううんざりである。

私は格闘技には嘘はつきたくない。

私は真実しか興味がない。真実のみを追求してゆく・・・

❮新Tシャツはグッズコーナーにて❯




令和3年9月16日

「K-1アマチュア全日本大会」

毎年恒例のK-1アマチュア全日本大会に、田中塾の足立が東日本代表として出場して、
遂に全日本マスターズ60キロ級チャンピオンになった!

コロナ禍の状況もあり、マスターズも若い選手のクラスも少なくなってはいたが、それでも選手達の熱戦が展開された

田中塾が久々に新たなタイトルを獲得したのであった。






令和3年8月7日

「日本柔道」

東京オリンピック柔道男子無差別級はメダル獲得にならなかったが、充分日本柔道の強さを証明する結果であった。

無観客開催となり、男子66キロ級の決勝チケットを入手していた私は残念に思いながらじっくりテレビで柔道を見た。

他の競技もメダル獲得が続いていた。
メンタル面で緊張とプレッシャーに弱い日本人選手にとって、無観客である状況が逆に実力を発揮できた
選手もいたのでは!?
と私は思っている。

ルールも変わり変化する柔道にも対応する日本柔道はやはり流石である。

コロナ禍により開催中止も危ぶまれたが、何とか開催されて、この時の為に練習してきた選手達が
試合ができて本当に良かった。




令和3年7月10日

「七夕」

年に一度の楽しみがやって来た。

今年のバースデーケーキはキャプテンハーロックだった❗️

今の私の状況がまさしくハーロックである。
それを察して桑野家からのプレゼントであった。

他のジム生からも高級和牛肉、高級茶、高級チョコレート、高級煎餅、Tシャツ等の誕生日プレゼントを頂いた。

ジム生のみんなありがとう。




令和3年6月22日

「Kー1甲子園」

7月に行われるKー1甲子園に田中塾から桑野浩輝が出場する。

浩輝は親と共に小学5年から田中塾に入門して、今年に晴れて高校生となった。

少しずつ成長して、たくましくなってきた浩輝に期待したい。




令和3年5月27日

「ささきいさお」

大王 ささきいさおさんの60周年記念スペシャルライブに行って来た。

80歳になる人間とは思えない迫力ある声量と若さは不滅であった!

高齢になりながらもトレーニングをやりながら体調を維持して自分の歌に信念と情熱を持ち
歌い続ける姿は尊敬するのであった

この日も私は大王ささきさんの迫力ある声からエネルギーを頂いたのであった。




令和3年5月25日

「Gメン75」

遂に全話がDVD化された!数話分は持ってはいたが、新たに殆どが初DVD化される完全収録である。

Gメン75は日本の社会情勢のストーリーにもなっており、昭和の時代を思い返す事もできるのである。

中でも香港カラテシリーズに私は感化された、8時だよ全員集合が終わった時間から、テレビの前で緊張しながら
待ち興奮しながら見ていた少年時代の頃が記憶に新しく残っている。

迷う事なく全話購入してゆくのである。




令和3年5月10日

「ミット」

注文してたミットがやっと届いた。

指導者達が各々使いやすいミットがあるだろうが、私はウィニング製のミットが1番使いやすい。

軽さと耐久性、打つ蹴る選手側と持つコーチ側の両方の為に作られた仕様であると私は思っている。

今回3回目の購入である。


旧ミットさん、お疲れ様でした。

新ミットさん、お願いします。



令和3年4月12日

「大道塾」

今から32年前、私は大道塾に入門しようと千葉支部の道場へ練習日を確認して行った。
だが道場は閉まっていてしかたなくその日は帰り、後日再度電話で確認して行ったのだがまた閉まっている⁉️

縁がなかったんだな・・・

と思い道場を後にした


その後シューティングのジムが津田沼で始まり、私はシューティングの門をたたき選手となった。

そして修斗の試合と平行しながら他流派の格闘技への挑戦を続けた。
その中でも大道塾との戦いの縁は続いていった。

後に私が指導者となった後も、私の弟子が大道塾との因縁の戦いに勝利した時は今でも心に残っている。


私の格闘技人生において

[修斗・佐山聡] [新格闘術・黒崎健時] [大道塾・東孝]

三つの分岐点に立ち止まる過去があったのである。


東先生とは数回だが食事をしながら総合格闘技を語り合った時もあり、一緒に軍歌を唄った時は楽しかったのであった。


東孝先生のご冥福をお祈りいたします。




令和3年3月15日

「勝訴」

格闘技の試合に例えるとセコンドのタオル投入による私のTKO勝ちとなった。


この2年間の攻防は、時間、労力、お金も使い精神的苦痛も少なからずあった。

こちらに非がないから大丈夫だと弁護士の指示を受けながらの攻防であったが、
今のご時世は悪が勝利してしまうケースも多々ある為不安な時もあったが、
不動心の心を乱さず堂々としてた事が勝因だったと思う。


私はまた格闘技の神に助けられたのであった。


令和3年2月4日

「香取神宮・鹿島神宮」

私の新年はここから始まる。

人混みの嫌いな私はあえて正月を避け1月末に行く。

今年も鹿島神宮と香取神宮奧宮に参拝してエネルギーをいただき、今年も起こるであろう波乱万丈の覚悟をしながら
開運蕎麦を食べるのであった。










令和3年1月17日

「タイムスリップ」

新年早々プライベートレッスンにまだプロデビューしたばかりだとゆう若者が練習に来た。

何を教えてほしいの?と聞くと新しい蹴りのカーフキックですと言って、その蹴りで決着がついた
大晦日の試合映像を私に見せてきた、見ると二人共センスいい動きはしている。

膝下の下段を数発蹴られ終了した。

負けた方の選手が下段蹴りの初歩的なカットができていないのが敗因であるが・・・

これはタイ人と昔のキックボクサーは使っていて昔からある蹴りだぞ、と彼に言った。
その昔はカーフキックと呼び名ではなく普通にローキックと呼ばれていた。

この蹴りでKO決着は稀にあったが、ほとんどが膝上部のローキックによるKO決着であった。

私自身も昔砂袋を蹴り込みローキックを猛練習して追究した日々があった。

タイ選手と日本キック王者との練習と極真の選手との下段蹴りだけのスパーリングもやってきた。

私の経験では膝上の正面に近い角度程当てれば効く、実際には膝斜め横の部位である。
その際フェイントも重要だが、軸足の甲は斜め前に横になるようにしてパンチのカウンターを警戒して
顎を引き頭を横に振り踏み込んで蹴る。

この軸足の甲の踏み込みができれば、試合中スタミナが切れてもまだミドルも数発蹴る事ができる。
人間の足の甲は動いた方向に片方の足も自然に無理なく回ってくるようになっている。

パンチのフックを打つ場合は、足の裏親指の付け根の使い方が重要になってくる等・・実技をしながら
若者選手に指導したが、防御のカットの技術も徹底的に指導をした。

下段蹴りのカットができれば、蹴った相手は2発目はすぐには蹴れなくなり、タイミングによっては
逆KO勝ちもあるのである。

過去にKー1の試合でニコラスペタスが蹴った下段をグルセルゲイ(制圏道)がカットして
ニコラスペタスの足が骨折してセルゲイの逆KO勝ちがあった。

しかしまあ昔からある技術が最近は新しい技だとか言われているとゆう!?

なんか私はタイムスリップした気分になったのであった。



令和2年12月25日

「忘年会」

今年はコロナ禍もあり中止にしようと思ったがジム生達が、
今年は10周年でもあるしやりましょう!との声もあり、
ジム内で暖房をしながら窓を開け換気しながら少人数に限定して行った。

皆で鍋を囲みジム生の鈴木(鈴木精肉店)が良質の肉を用意してくれて7kgの肉があっという
間に無くなり美味しく食べた。

そしてみんなから一人ずつ来年の目標を聞きエネルギーをもらった感じにもなった。

人間が生きてゆく中、良い時も悪い時も必ずリスクがある、牙を隠しながら沈着冷静に
不動心で前に進むしかないのである。

来年も起こるであろう波乱万丈も覚悟の上である。




令和2年12月15日

「令和の世紀の一戦」

私は幸運にも東京オリンピック柔道男子66kg級の決勝チケットを入手する事ができた。
しかし新型コロナウィルス感染拡大のため延期となり、毎年春に行われる全日本柔道選手権も中止になった。
そんな中唯一決まっていない66kg級の代表の座を賭けてやはり再度

丸山城志郎 対 阿部一二三

が戦う事になった

私はこんなに楽しみにして緊迫しながら格闘技の試合を見たのは何年ぶりだったろうか・・・

両者の戦いは延長戦にもつれ込み25分を越える死闘になり最後は阿部一二三が大内刈りで死闘を制し勝利者となった。

こんな緊迫感のある格闘技の試合はこれから先10年ぐらいは見ることができないだろうな・・・私は思った。


日本格闘技界において柔道の王者が最高峰であり、昔から、今も、これからも全日本柔道選手権が
日本格闘技界の最高峰の舞台なのである。

他の格闘技団体のように着色料を使い誤魔化すような事は無く、永遠に名誉ある最強の格闘技
であってほしいと思うのであった。




令和2年10月7日

「10周年」

新田中塾を設立して10年になった。
現在のジム設立前は旧田中塾時代が1999年1月14日~2005年4月18日までその後、
船橋武道センター時代が5年間の活動となり現在の常設ジムとなった。

私自身が人から先生とか塾長と言われるようになって20年以上になった。

思えば小学生の頃、格闘技に感化され体を鍛え始め、中学生のときは格闘技のチャンピオンになると心に決め、
高校時代は格闘技に生きると決めていた。

そして今現在も継続し続いている。

格闘技の精神論、技術論、トレーニング論どれも必要であり永遠の追求の日々である。

時代に合わせ、やむを得ず便乗しなければならない部分と妥協してはならない部分があり
特に「精神論」は根性論とはまた別でありそれを若者達に理解させて指導してゆくのは本当に難しいのである・・・・・


新田中塾4周年パーティーの時は会場で盛大に行い、
佐山先生からも嬉しいお言葉を頂き多くの皆様から祝ってもらったが、
10周年パーティーはコロナ禍もあり数人で小さく行った、
お祝いに花やプレゼントをくれた方々ありがとうございました。






令和2年9月22日

「安らぎの場所」

強烈な暑い夏が終わり涼しくなったが、忙しい日々は続いている。

今年は、プライベートレッスンのジム生が増え続けて、休みがとれない状態である。

曜日によっては、7時間ぶっ通しで指導を続ける日もあり、8月は熱中症になったような?なってないような?意識の中で、一生懸命学ぶ者に指導を続行する。

新型コロナウィルスの影響で、多くのフィットネスジムと格闘技ジムが苦境になっている中でのうれしい悲鳴でもある。

「いらっしゃいませ」ジムではなく、私のような「独自路線」ジムは、世が苦境になると強くなる️と初めて感じた。

退会者0人休会者1人の状況の結果になっている。


とにかく忙しくなり、身体も頭も疲れ、時間がある時は心が安らげる場所に行きたくなる。

成田山の、平和大塔の不動明王様に手を合わせて心で会話をする。

池の鯉も迎えてくれて、心が安らぐのであった。


そして新田中塾は、設立10周年を迎える。




令和2年8月20日

「墓参り」

MAキック元代表の越川昭代表の墓参りに行って来た

この日一緒に集まった越川豊会長(元MAキックライト級・ウェルター級王者)

井手本高司(デンジャージム代表)、石井孝弘(元MAキックライト級)と夜遅くまで昔話で盛り上がり楽しかった。

東金ジムでの練習ではムエタイ選手との試合以上の壮絶なスパーリングの思いでや、
暴走族を土佐犬の檻にぶちこんだり、
反社会的勢力の人間達も相手にしなければならなかった時や、
ここで活字にして書けない事等もあった。


だが東金ジムと越川昭代表と過ごした日々が私を強くした事は確かである、
今ジムは無くなってしまったが私の心の中で東金ジムの思い出は一生忘れない事なのである。






令和2年7月10日

「七夕」

 今年もジム生達が、誕生日を祝ってくれた。

 美味しいプレゼントや、私の心のツボを突くプレゼント等を頂いた。

 心が少し乱れ、足元が悪い状況でもあるが、格闘技にだけは
昔からこれからも
 嘘をつく事無く、前に歩き続けて行く・・・

 ジム生達からエネルギーをもらった。

 みんなありがとう。














令和2年6月27日

「武器交換」

 田中塾は、紫外線殺菌灯を装備している。
 ジム内の床のマット菌、練習用具の細菌と、新型コロナウィルス菌
が死滅するので、ジム生が安心して練習ができる状態である。

 今がこんな状況だから、いつもより早めに新しい殺菌灯の交換を行った。

 ジム生の中には警察官、自衛官、内科医、歯科医、皮膚科医等、
その他あらゆるジャンルの人間がいるので助っ人になってくれる時がある。

 この日の殺菌灯交換は、電気設備管理員の杉本さんがやってくれた。






令和2年4月26日

「見えない敵」

 こんな平和な時代がいつまでも続くわけがないんだから、心に危機感を持って
生きろよ!

 私が常日頃ジム生達に言ってる事であったが、こんな形でやってくるとは...

 全く想定してなかった訳ではないが、私の言ってる意味の大半が、戦争、
テロリスト、左翼、街の治安の悪化等であった。

 だから身体を鍛え格闘技術を学び強くならなければならない。

 私は海外9ヶ国行っているが、本当に日本ほど平和な国はない。
 子供や女性が夜に一人歩き出来て、荷物や財布を無くしても後で
戻ってくるのは日本だけである。

 だが、今の現状の敵は、見えない敵「新型コロナウィルス」である。
眼で見えない為に、逃げる事も戦う事もできない。

 TVニュース等の情報では、マスクや手洗い等の予防の事しか言わない。

 確かに予防の習慣は重要であるが、それ以上に免疫力を上げる事が
もっと重要であると私は思っている。
 風邪引く時も、必ず身体が弱って疲労が溜まっている時である。
 だから身体を鍛え、免疫力を上げる事が一つの危機を回避して武器ともなる
のである。

 フィットネスジム等は閉鎖されている状況だが、格闘技ジムと道場は
閉鎖せずに、予防に工夫しながら平常でやるべきである。
 私自身は、普通にジムを開け、普通に練習して普通にサウナにも行っている。

 コロナウィルスは、平和ボケしている日本人にとって
乗り越えなければならない大きな試練となった。

 そして格闘技選手達は、分岐点となり、本気でやってる者と適当にやってる者が
別れ、むしろ良い方向に行くと思っている。

 人間が生きてゆくには、どんな世界も苦難と危険とリスクが必ずある

 生きることは闘いなのである。




令和2年4月26日

「ブランコシカティック」

 Kー1初代王者ブランコシカティックが亡くなった。

 私の現役時代でキックボクシング時代に、シカティックとは数回だが共にした事
があった。

 思い出に残っているのは、シカティックが引退試合を名古屋で終えた後、
シカティックが日本闘犬の試合が見たいとゆう事で、そのまま名古屋から
茨城県の闘犬闘技場まで、ピーターアーツも一緒に車に乗せて、
東金ジムの越川豊会長と運転を交代しながら連れて行った。

 闘犬達の闘いが始まると真剣な目でじっくりと見つめていた。

 決着がつき、血だらけになって負けた犬の方にシカティックは歩み寄り、
よく頑張ったと優しい眼差しで闘犬の頭を撫でていた姿を
今でも私は覚えている。

 鋼鉄のような体で、おとなしくて無口で、日本侍のような男であった。

 伝説の王者ブランコシカティックを、心よりご冥福を祈ります。




令和2年2月17日

「侵略4」

 4回目の侵略は失敗した。

 相手の中島選手は、勝負は仕掛けてこなかったが、
 小刻みなポイントを重ねていきながら逃げ切る技術がうまかった。

 このスタイルの選手にも勝たなければ実力者ではない。

 今回は、私が適当に選んで呼んだフェドロフだったが、
私の油断と判断ミスであった・・・





令和2年1月27日

「香取神宮・鹿嶋神宮」

 私の新年のスイッチはここから入り始まる。

 今年の参拝は、田中塾プライベートレッスンジム生の桑野親子と鈴木と
中島久仁夫で行って来た。

 この日の天気予報は、雪と雨であったが、晴れ男の私が現地に着くと
晴れはしなかったが雪雨は止んだのであった。

 今年も波乱万丈と喜怒哀楽が始まる……










令和元年12月20日

「忘年会」

 今年の忘年会は、急遽場所を変えて、私の隠れ家の一つである
船橋某所にて行った。
 原始時代にタイムスリップした感じになるこの店で、みんなの話を聞きながら
美味しい料理を食べた。
 特に猪肉、カンガルー肉、蛙肉、鰐肉、は子供達が喜んで、楽しく一緒に
食べたのであった。



 20年間、田中塾行きつけの店「加賀」の親方・有木晧様が亡くなりました

 80近いのに100キロベンチプレスを軽々持ち挙げてた親方…
 いつも私の話を真剣に聞いてくれた親方…
 いつも美味しい料理を作ってくれた親方…
 もうあの料理がたべられないのは本当に残念です…

 長い間ありがとうございました
 有木晧様のご冥福を心から祈ります
















令和元年11月25日

「接骨院」

 私は接骨院通院歴がもう30年以上になるが、数年前から治療の仕方等
に疑問に思ってた事がついに雑誌にて公表された。

 コンビニより多く数だけが増え、
〔適当にマッサージだけをしてハイお大事に~ではなく〕
怪我を治せる接骨院がもうないのでは?

 ずさんな怪我を治す技術もなく拝金主義だけの接骨院は早く消え、
真の柔道整復師だけが残ってゆくのはまだ時間がかかりそうである。

 しばらくの間私は気持ちで身体を治してゆく事とする…




令和元年10月6日

「侵略3」

 当然と言えば当然だが勝利してホッとした。

 粕谷選手も鋭い左ミドルを当てたりもしたが、やはり真実の世界で格闘技をやって
いる人間とそうでない人間の格の違いを見せる内容であった。

 次は上迫選手と再戦をしたいのだが、向こうはソリホンとやりたくないと
言ってるようだ?
 ならばベルトを賭けてタイトルマッチでどうか、と打診したが、それでもソリホンと
やりたくないと言っているようである?

 ロシア選手が恐くてビビる気持ちも解らなくもないが、一応は曲がり成にも
プロ選手なのだから再戦を受けてほしいと思っている。
 前回の二人の試合は、人生で一度あるかないかの運の良さで勝利を得た
上迫選手だが、運を使い果たしてしまっている為に勝機は無いと判断しているのか?

 私がパンクラスさんに頼み、ロシア選手を呼び試合をさせたのは、
総合格闘技の先輩として、OBとして、日本人選手達に刺激を与えて
強くなってほしい思いもあったのだが……こんな断られ方で残念な気持ちに
なったのであった…

 まだソリホンの2倍強いロシア選手が後に控えているが、どうやら
それ以前の問題になったようだ…








令和元年9月26日

「侵略3」

3回目の侵略はソリホンの暫定王者を決める試合となった.。

前回のような事故と失敗は許されないし、私は許さない…




令和元年8月25日

「夏休み」

熱い夏であった!

今年の夏は息子と一心不乱になり、海にプールに遊園地等、たくさん遊んだ。

 日頃一緒に遊んでやれない分も、いろいろな所に連れて行き、
たくさんの思い出を作ってやろうと息子との遊びに没頭した。

 人生苦難もあるが、息子がいるからこそ使命感と充実感のある日々を
過ごす事ができるのである。

息子よ 私の息子でありがとう













令和元年7月21日

「7月7日」

 50回目の誕生日を迎えた。
 20代の頃は、50才の自分の姿を想像できず。遥か先の事であると
頭の片隅にあるだけだった。

 ましては、この年になるまで格闘技を続けているとも思わなかった。
 50才となった実感は、あまり感じないが、格闘技歴は35年になる。
身体はぼろぼろだが、まだまだ格闘技の心・技・体全ての追求の日々である。

 そしてこの日は、毎年恒例のプライベートレッスンのジム生の桑野家からの
バースデーケーキを頂いた。

 他のジム生からもプレゼントをいただき、皆でケーキを食べて、
焼き肉パーティーとなった。

 その後は桑野ケバブによるケバブパーティーとなり、みんなに祝ってもらい
誕生日パーティーは幕を閉じるのであった。

 良い弟子達に囲まれ幸せを感じるのであった。










令和元年6月9日

「Kー1・アマチュア大会」

 K-1・アマチュア大会マスターズの部、ー55キロ級に田中塾から足立健が
出場して2-1の僅差の判定で優勝した。

 足立は証券マンとして仕事をしながら格闘技が止められず、
試合をやる事を家族にも言わず練習をしている
大人げない大人の一員である。

 9月8日の全日本も、またオヤジの意地を期待する。








平成31年4月13日

「旭川」

 仕事で旭川まで行って来た。

 終了後時間があったので、旭川の街を、懐かしさを感じながら歩いた。
 掣圏道アルティメットボクシング時代は、北海道内を全て興行で回ったが、
私は旭川が一番好きである。

 まだ行った事がない高砂温泉まで今回は足を運んだ。
 ここは高台にあり、露天風呂からは旭川の街を見渡せる絶景であり、
 浴場とロビーは昭和レトロ感100%で、私好みの設備になっていて
最高であった。
 支配人の高崎さんとラーメン皐月の三橋さんがもてなしてくれた。

 今の私の現状に起きている災いと、解決しなければならない問題を
かかえている状況だからこそ、一度気持ちをリセットして0にしようと思って
いたが、ここの新鮮な山の空気と解放感で、気持ちを新たにする事が
できた感じである。

旭川の大自然よ、ありがとう。








平成31年3月22日

「侵略2」

 2回目の侵略は失敗してしまった。

 バンタム級のレオンティブの試合は、相手の田中路教選手の事を
私は全く知らず、急にパンクラスからバンタム級のロシア選手で誰か
至急用意できませんか?!
と頼まれた理由もあるが、取り敢えず最近プロデビューした
レオンティブを連れて来る事にした。

 田中路教選手がそこそこの実力者である事を後で聞いて、
もうちょっと上のロシア選手を連れて来れば良かったかも……と思ったりもしたが、
UFCにも出場してる選手相手にレオンティブは新人ながら良くやったと思っている。

 ソリホンの試合は、初回のパンチの連打で倒しレフリーがストップして
もいい状態になったが続行された!?

 そんな中事故が起きてしまった。

 上迫選手にソリホンがフロントチョークを極めている時に、
大胸筋を筋断裂してしまい、痛めていた胸部を更に悪化して、
呼吸が苦しくなり自滅してしまった。
(最後にローキックを蹴られた為に見てた人は、足が効いて倒れたと
思ったようだが。)

 上迫選手の運の良さと、最後まで諦めない根性が勝利に導いた結果になった。

全体的にパンクラスは、レフリーによって、バンテージチェックの時もそうだが、
判断基準が大きく左右するのだなと思う日にもなったのだった。






平成31年3月14日

「見参2」

 パンクラスに出場する為に、ロシアパンクラチオンから2名の
ロシア選手を来日させた。

 前回に圧倒的な強さを見せたソリホンと、初来日のレオンティブだ。

 レオンティブは最近までアマチュアの選手であったが、対戦相手の
日本人選手はちょっと強いらしい?

 なんとかちょうど良い試合になるであろう!?

 私の使命感と侵略がまた開始される。





平成31年2月1日

「香取神宮・鹿島神宮」

 香取神宮と鹿島神宮へ、今年の参拝に行って来た。

 少し行くのが遅れてしまったが、人混みもなく、気持ち良く
歩く事ができた。

 巨木の御神木の間から、射し込む光とやわらかい風が
なんともいえない心地良さである。

 私の新年のスイッチは、毎年ここから始まる。

 早速、様々な事が舞い込んできた。

 風向きが良い方向になってきている。








平成30年12月23日

「田中塾忘年会」

 今年も早くも忘年会がやってきた。
 例年通り、田中塾15年間行き付けの船橋某所で行われた。

 ジム生が全員集まる事はできなかったが、それでも店内満員になり
イスが足らなくなって、親方が急遽イスをどこからか持ってきてもらう事
にもなってしまった。

 みんなの今年を振り返った、話と来年の目標を聞いて、美味い料理を
食べながら楽しんだ。

 二次回は、私のスーパーライヴが始り、皆と共に熱唱し、
今年の忘年会の幕を閉じたのであった。














平成30年12月3日

「侵略」

 当然の結果であり、何とも思わないがやはり無理だった。
 No.1を連れて来た訳ではないが、やはり天と地の差である。

 日本人選手が、ロシア人に勝てる格闘技は柔道だけであり、
 その他の格闘技は、今の現状では不可能である。

 ソリホンとアキラ選手の試合中に、私は総合格闘技の先輩として
OBとして日本人のアキラ選手に、頑張れと思う気持ちもあった。

 厳しい現実だが、日本人選手達に真実を教えなければならない。
それが私の任務であり、使命感だと思っている。

 日本人選手達よ、私がロシア人に勝つ為の術を教えよう。








平成30年11月23日

「見参」

 数年間の間、私とパイプを結び、15年間交流している
ロシアの総合格闘技団体「ロシアパンクラチオン」の選手の参戦を
日本の格闘技団体に申し入れてきた。
 ロシア選手が強すぎる為に全て断られてきたが、
遂にパンクラスにて実現となった、

 極東No.4のソリホンを1番手にもってきた。

 私の使命感と侵略が開始される。





平成30年10月11日

「他流試合」

 士道館インターナショナルチャンピオンシップに、
田中塾から竹井と立花が挑戦して出場した。
 結果的に3位になったが、課題の残る内容に
なってしまった。

 竹井は、シニアの部に出場予定であったが、一般部に
変更となり、若い選手との対戦の中よくやったと思う。
 立花は、瞬時の判断とツメの甘さが残る試合となった。

 掴み5秒、寝技5秒の不利なルールを承知の上で
練習をしてきたが、今回は二人にとって他流試合で勝つ事の難しさと、
アマチュアにも強い選手がいる事を痛感し、
この経験を次に生かして欲しい。

 添野義二館長とも久々に深い話しをする事ができた。
 添野館長ありがとうございました、押忍。








平成30年9月25日

「他流試合」

 他流試合をやらなければ真の実力者ではない.。

 私の昔からの論理である

 総合格闘技が、ほぼ全てのルールが認められているから、
総合格闘技の試合が他流試合のうちでは?

と言われる事があるが、私はそうは思わない。

 敵のルールと、敵の敷地内に入って戦う事が、真の他流試合なのである。

 士道館の大会に出場する竹井と立花と共に、私も道着を着て練習をする。

 二人の他流試合が楽しみである。








平成30年9月10日

「Kー1アマチュア大会」

 9日のパンクラスの立花の試合は、相手の札幌地震の影響の為に中止に
なってしまったが、
同日のKー1アマチュア大会に出場の、桑野と越智の試合を最後まで
見る事ができた。

 越智のクラスCでの初試合は、相手に7ポイント先取され負けてしまったが、
反省点も踏まえ次に期待する。

 桑野梨菜は、女子55キロ級トーナメントで優勝する事ができた。
 12月の全日本大会優勝に向けて、一段と気合いを入れていく!







平成30年8月25日

「猛暑の練習」

 9月9日に、Kー1女子アマチュア大会に出場する桑野と越智が、勝利を目指し
練習に燃えている。

 そして、プロ3戦目となる立花もパンクラスでの試合を控え燃えている。
こちらはプロの試合の為、当然極限まで追い込んで練習し鍛える。

 Kー1もパンクラスも、同日開催である為に当日は忙しくなりそうである。

 そして10月には、他流試合出場と、いよいよ私の使命感と
侵略の一歩が始まろうとしている……

しばらく忙しい状況が続きそうである。






平成30年8月6日

「火事場の大泥棒」

知人から本が送られてきた。

プロレスの本は興味ないが、我が師が表紙で真実とも謳ってあったので
時間がある時に読み通した。

プロレスの部分は私には分からないが、
後半の部分は間違い箇所が三つ、
言語道断箇所が一つあった。

本の売り上げを考えれば、真実を謳い文句にして
面白可笑しく書く事が前提となる事は仕方がない事であろう。

修斗の歴史の裏と表を、全て知り尽くしている私から見れば、
別になんとも思わないが……

一番危険な事は書かれていなくて安心した。
内容的にはうまくコンパクトに可愛らしくまとめた内容になっていた。

この本がいつ出たのかわからないが、
そういえば佐山先生から連絡があり
「怒らないでくれ、真実と名前を出さないでくれ」と言われ
私は、えっ?何の事ですか?と聞くと、
佐山先生から大まかな話を聞いた………
なるほどそうゆう事か……
(佐山先生が怒らないでくれと行った意味は二つあるが)

なんなら、真実を私がここで書こうかとも思ったが、
それをやってしまうと、これから先、生きにくくなってしまう
人間達がいるために、佐山先生の口から出たやさしい配慮であった。

だが優しさは良い部分でもあるが「悪い」部分でもあるのだ。

何時の時代にも、人が弱っているときに匂いを嗅ぎ付け
地位と名声、私利私欲の為に現れる。

「火事場の大泥棒」は存在する。


こんな事が続けば浦田会長(故浦田昇・修斗協会会長)が
最後に私に言った約束と誓いを
守ってゆく事ができなくなるかもしれない。

私は格闘技には嘘をつかない事を自負している。

私は我が道をゆく。




平成30年7月7日

「誕生日」

 今年は、仮面ライダーV3であった。

 プライベートレッスンのジム生である桑野さん家族から、
毎年プレゼントされるバースデーケーキである。

 箱を開ける瞬間、今年はなんだろう? と、
ワクワクしながら開けたら
かなり繊細に描かれた仮面ライダーV3であった!

 私は、これからも、V3のように
正義と真実を貫き通して生きて行く……






平成30年5月1日

「特殊」
 
  急遽また九州へ仕事で出張した。

 特殊なこの仕事は、依頼の件数は少ないが、
かれこれ15年やっている。

 実行する直前の緊張感と、終了後の解放感は、
格闘技の試合前後の時以上なのである。

 一歩間違えれば大惨事になる、危険で特殊な仕事は、
誰かがやらなければならない……

 気力の続く限り私は続ける



平成30年3月28日

「地獄」

仕事で急遽大分に行って来た。
少し時間がとれたので、地獄めぐりをする事ができた。
私も地獄を経験してるが、ここの地獄も厳しそうだ。








平成30年2月5日

「香取神宮・鹿島神宮」

 例年通り、今年も香取神宮と鹿島神宮の奥宮へ参拝に行った。

 人混みの大嫌いな私は、正月直ぐに行くのは避けて、しばらくしてから
行くが、今年は少し遅くなってしまった。

 今年も香取と鹿島の神様に心で語り、エネルギーを頂いたのであった。








平成30年1月29日

「映画マジンガーZ」

 説明するまでもなく、日本が生んだ世界に誇るロボットアニメである。

 有名な漫画とアニメが映画化されると、殆んどが期待外れになり、
原作の価値を下げるひどい作品になったりもする。

 映画マジンガーZもあまり期待せずに見に行ってきたが、
これが見事にマジンガーZファンの心を掴み捉える素晴らしい内容で、
期待外れの期待外れであった!

 また続編が見たいものである。




平成30年1月11日

「水木一郎」

 毎年恒例1月の「水木一郎バースデーライブ」
 今年はアニキの50周年で70才の誕生日であり、
マジンガーZが映画化される年にもなった、
 まさにスーパーライブになると思われたが……
年齢的な衰えはわかるが……

 何はともあれ50周年は凄い事である。

 水木さん、お誕生日おめでとうございます。

 ホール入口ではマジンガーZがみんなを迎えて
くれていたのであった。








平成29年12月30日

「田中塾忘年会」

 私にとっての2017年は、極端に残念な事と嬉しい事の喜怒哀楽が、
激しく起こった1年であった。

 危うくカルト的な世界に引きずりこまれそうにもなったが、
私は人に騙された事は一度もない。

 寧ろ騙されたふりをして、相手の懐に入り状況を把握して、
身を引き離れる事が得意でもある。

 今年の精神的ストレスを、ジム生皆で毎年恒例の、船橋某所の
美味しい料理を食べて、ジム生達の来年の目標を聞きながら
楽しく解消する事ができたのであった。














平成29年12月24日

「田中塾イラン支部長」

 モハメッドジャルバン(田中塾イラン支部長・元プロ修斗1戦1勝
・コンバットレスリング全日本3位)が日本に久々に来た。

 今回は、本業の仕事の件で、日本では誰もが知る某企業との
商談と契約の為に東京に訪れていた。
 イランでは、会社の社長を務め、ビジネスは成功しているようである。

 お互いの近況を話し合い、昔話で盛り上がり楽しかった。

 私が想像してた以上に、今イランでは、MMAが人気があり、
ジムも増えているようだ。
 さっそくまた、イランでのセミナーの依頼を頼まれた。

 来年は、久々に私はまたイランに行く事になるであろう。




平成29年11月29日

「息子」

 寒い!
 ロシアに行く事30回以上、-30℃の時期は4回経験してるが、
やはり心底凍る寒さである。

 そんな寒さの中、息子が出場する極真カラテ極東少年大会
が行われた。
 結果は準優勝であったが、決勝では、延長の末に痛さと
苦しさのあまり相手に気持ちで負け、
上段蹴りをもらい技ありを取られ惨敗であった。

 試合中は、怒鳴りながら応援して試合後は説教もした。

 まだ子供だから、こんなもんだろう、と言う人がいたが、
子供だろうが大人だろうが、次に繋げる
良い負け方と悪い負け方があると私は思っている。

 試合後に、顔を下に向け、悔しがって泣いて座ってる
息子の姿を見て私は安心した。
 家に帰って晩飯の後に、
「上段蹴りの速いやつに勝つにはどうしたらいいの?」
と言ってきたので心の中で私は喜んだ。

 私が息子と同じくらいの時代は、極真カラテの全盛期であった。
 開会式の極真若獅子寮のテーマで入場してくる
自分の息子を見て、胸にこみ上げてくるものがあったのである。

息子よ 生まれてきてくれてありがとう










平成29年11月12日

「成田空港」

 成田空港には何度来ても出発前の期待と不安、
出会いと別れもあり緊張感もある場所でもある

 ロシアの-30℃の地へ出発……






平成29年10月14日

「格闘技大戦争」

 11月のアマチュアパンクラス、12月のキックボクシング大会に
出場するジム生達が練習に燃えている。

「技は力の中にあり」
 基礎体力トレーニングをうんざりするほどやらせてきて、
今はスパーリング中心の練習に切り替えている。

 そして11月には、極真空手ロシア極東少年大会に息子が出場する。
 前回の試合は、白帯ながら私の息子とゆう事で特別に出場させて
もらい、まぐれで3位になったが、今大会は地区を勝ってきた少年達
が相手であり、簡単には勝てないであろう。

親心としては、ボロクソにやられて格闘技の厳しさを心身感じて
ほしい気持ちと、優勝してほしい気持ちが入り交じっている。
今回の私のロシア遠征は、息子の試合とロシアパンクラチオン
極東支部でのセミナーも予定にあり、忙がしくなりそうである。

 年内最終格闘技大戦争が始まる❗










平成29年8月19日

「ANIME JAPANFES・2017」

 毎年夏に3日間に渡り、アニメシンガーが集まるライヴ、
「アニメジャパンフェス2017夏の陣」に行って来た。

 このライヴイベントに、私は以前2回程観覧した事があるが、
今回は、私の知人が新しくプロジェクトを開始したアニメサイトを
立ち上げ、会場で取材する事となり、
「アニメソングに詳しい人がいないと不安だから田中さん一緒に来て下さい!」
と頼まれ会場へ足を運んだ、

 今年の出演者は我らが水木一郎、ささきいさお、堀江美都子、山本正之、
チャーリーコーセー、尾藤イサオと、日本が世界に誇るアニメソング界の
大御所が集結した。

 全員の全曲全てが良かった。

 中でもチャーリーコーセイの「ルパン三世・その1、その2」と
尾藤イサオさんの「あしたのジョー」は、久々に聞く事ができた。
今回は報道関係者席からの観覧となり、ステージ全体が見渡せて
いつもと違う角度からの観覧も良かった。

 そして最後は、帝王水木さんが、故平尾昌晃さんを偲ぶように
心をこめて「キャプテンハーロック」を歌ったのであった。





平成29年7月8日

「誕生日」

 今年はレッドマンであった!

 私の頭の中で候補は3つに予想して絞り、
レッドマンもその中に入っていた。

 プライベートレッスンのジム生である桑野さん家族から、
今年も見事に描かれたバースデーケーキを頂いた。

 竹井からは、私の好きな煎餅の詰め合わせ、
女子部の越智からは、中国から持ってきた
最高級烏龍茶を頂いた。

 その他格闘技関連以外の方々からも、誕生日祝いを
していただいた。

 みなさんありがとうございました。

 しかし年を取ると1年が本当に早い







平成29年5月23日

「再会」

 ミャンマーラウェイの試合が組まれる事で、ZONEより招待を受け
東京タワーメディアセンターに行って来た。

 13年振りにウィンさん(監督)とロンチョー(ラウェイ無差別級チャンピオン)
と再会して、高森さんと西さんにも久々に会った。
田中塾がミャンマーに乗り込み敵地で勝利を成し遂げてから13年になる。

 私はリング上のあいさつと、ミャンマーTVのインタビューでもコメントした
事だが、今の気持ちとしては勝敗よりも、実戦格闘術を追求してきた私に
とってはミャンマーラウェイとの出合いが、私の心に大きな収穫と財産
になっている。

 現在日本のリングと金網での格闘技を見ると、格闘技の本質的な事を
忘れて、選手がただ踊らされている感がしてならない。
指導者と選手が一丸とならなければならないのである。

 この日出場した圧倒的な強さだったラウェイワールド王者のソーゴームドー選手
と敗れはしたが金子大輝選手が、格闘技の本質的な戦いを見せてくれた。

 何時の時代も日本は格闘技の国であってほしい

 いつまでも打ち上げ花火ばかりやっている場合ではないのである。










平成29年4月2日

「千葉ジム」

 千葉ジム(センバ)にてアマチュアキックボクシング大会が行われ、
田中塾からも1名出場した。

 千葉ジムは日本で1番古い歴史のあるキックボクシングジムで、
昔、私が小中学生の頃よく見学に行き、初めてサンドバッグを蹴った
のもこのジムである。

 千葉ジムには、キック全盛期の頃に、稲毛忠治とゆう圧倒的な強い
チャンピオンがいた。
 私が認める格闘技選手の実力者の中でも、上位にあるのが稲毛忠治
である。
 この日は千葉ジムOBの方達が集まり、稲毛忠治VS田畑隆戦の裏話や、
稲毛忠治VS猪狩元秀がなぜ実現しなかったのか? 他、昭和格闘技の話
でみなさんと話が盛り上がり、最高であった。

 千葉ジム戸高朝明会長は、今でもびっくりするぐらい元気であった。

 知りあいを通じて、稲毛忠治さんと会う事ができそうだ。

 その時にどうしてもKO技術で聞きたい事がある。
 
 伝説の男に会える……私は少し緊張してきたのであった。








平成29年3月18日

「一目惚れ」

 この雑誌の名と表紙を見て迷わず購入した.

 私は昔この男に影響され尊敬してきた。



平成29年3月5日

「29年 春のキャンペーン」

 29年 3・4・5月の入会者は、入会金0円になります!

 春から格闘技!

・少年達よ!身体を鍛えて
 いじめ解消と
    身も心も強くなれ!

・格闘技のトレーニングは
 痩せます。
 女性は格闘技で鍛えて
   スタイル良く強くなれ!

・オヤジ達よ!
 メタボ解消と、
 やり残した青春時代
        をとり戻せ!

「今の自分より、まず一歩強くなりませんか」


平成29年1月26日

「香取神宮・鹿嶋神宮」

 香取と鹿嶋の神様に、新年の挨拶と参拝をしてきた。

 参道を静かに歩きたいので、あえて行く時期を少し遅らせた。

 香取神宮と鹿嶋神宮には、20年以上通っているが何時来ても
この雰囲気と空気と太陽が射し込む光が、なんともいえない絶景で
気持ち良くて、成田山と同様に心が落ち着ける場所でもあり、
身が引き締まる神聖な場所である。

 この日も、エネルギーをたくさん吸収させていただいた。











平成29年1月13日

「帝王・水木一郎」

85点の内容であった。

オープニングは「勝利だアクマイザー3」が流れ、また去年と同じ感じだな……
と思いきや、
「勇気があれば」(とんでも戦士ムテキング)
「五人でひとつ」(百獣の王ゴライオン)
「ディスコワンセブン」(大鉄人17)
「明日に向かって」(マシンハヤブサ)
「太陽に走れ」(グランプリの鷹)
「愛のエレジー」(わが青春のアルカディア無限軌道SSX)
「ルパン三世のテーマ」等、
めったに歌わないレア曲と挿入歌をフルコーラスで聞く事ができた。

ゲストの戦友の堀江美都子さんとデュエット曲「戦え7人ライダー」を歌い、
トークも少なめで、ウルトラマンゼロ(ウルトラセブンの息子)も応援に来た。

 持ち歌1200曲もあり、もう若くはないため代表曲以外はもう無理なのか?
と思えてきていたが、さすが帝王であった!!

 去年のライブに比べたら、会場のファン達は十分満足した事であろう。
だが、私は帝王だからこそ厳しいコメントを言ってしまうのである。

この日は甦った水木一郎であった!!

兄貴お疲れ様でした。





平成29年1月8日
 
「大晦日~新年~腕立て千回」

 毎年恒例の大晦日は興議館にて、佐山先生のプリンシプルである。

 講演後、皆で年越蕎麦を食べて靖国神社の本殿にて参拝をした。
 田中塾からは越中、黒田、桑野の3名が参加した。
 今年の靖国神社は出店が1件もなく、人も少なく、去年より暗く
さみしい雰囲気であった、

 新年靖国参拝の後は、新宿へ移動しオカオカハウスとなる店にて
新年会を行った。
 普通では、私がこのような店に来るのは縁もゆかりも無い事であったが、
雑煮を食べて、歌も歌い、皆さんと楽しい新年会であった。
(店長である漫画家の浜田ブリトニーさんが後から
突然私にスリーパーをかけてきた?)

 そして、私個人の毎年恒例の腕立て千回を2日13時からジムで開始した。
 数ヵ月前から右腕の肘と肩を痛めてたいが、この日の為に1週間
腕立て伏せを、禁止してその分腹筋と背筋を強化してきた。

 腕立て千回は、腕と胸と肩の筋力だけではこなす事はできない。

 始めてみると、以外とテンポ良く回数をこなし進んでいったが、もちろん
途中きつくなり、休みを入れながら(休みといっても立ち上がるのではなく
手と足の幅を変えて若干違う筋肉を使いながら回数をこなす。20歳の時に
黒崎健時先生に千回を命じられ、苦しくなった時に許された体勢である)

 千回終了後、腕と肩を冷やし、最後に銭湯の熱湯風呂に浸かり、腕が
思うように動かせず頭は洗髪できなかったが、壮快で充実した新年であった。

 今年は酉年!頭に気合いを入れていく!














平成28年12月16日(金)

「田中塾忘年会」

 あっという間の1年である。
 毎年恒例の船橋某所にて、忘年会を行った。

 今年は仕事が忙しい人や、海外に行った人達で参加者が若干少なく
なってしまったが、いつもの美味しい料理をみんなで楽しく食べて、
一人一人から今年を振り返った話と来年への抱負を聞かせてもらった。

 各自、何をやるにも身体を鍛え、健康体を保つ事が必要である。
 身体を鍛えながら、目標達成できるよう皆頑張ってほしい。

 そして2次回は、私のスーパーライブが始まったのであった。












平成28年11月26日

「ブラックジャック」

 壊れた身体を治しに、ブラックジャックの異名をとる
後藤先生の所に行って来た。

 首、顎関節、腰、股関節が、後藤先生の見事な施術により、
新たに起動開始となった。
 いつもながら後藤先生ありがとうございました。

 帰りに知人が店員を勤める店に寄ると、レッドマンと会う事ができた。
 思わぬ対面に興奮と感動であった!





平成28年11月20日(日)

「闇金ウシジマくん」

 真鍋さん、ありがとうございます。
 顔出しNGとゆう事で…





平成28年11月6日

「アマチュアパンクラス」

 パンクラスアマチュア大会、に竹井が出場した。

 初戦は何とか判定勝ちで、2回戦目は練習の成果はでてはいたが、
相手の若さの圧力に力尽き敗れた。

 40半ば過ぎて日頃の練習に頑張っている竹井であるが
私の考えは、オヤジ同士の試合ならまだしも、若い選手に混ざり
顔面パンチありの試合は危険である。

 若い時に中途半端にやり残して、悔いを残したくない気持ちは
分からなくはないが、選手が終わった後の人性の方が長いのである。

 この日も、父親を一生懸命応援する竹井の息子の声が
場内に響きわたっていた。




平成28年10月17日

「アマチュアキックボクシング大会」

 マスターズピットジムにて、アマチュアキックボクシング大会が行われ
田中塾から4人出場した。

 まずは少年部の桑野浩輝(小5)がTKO勝ち
〔強烈なミドルを当てる事ができた〕

 姉の梨菜(高校1年)は常に前へ出て鋭い攻撃で圧勝!〔3ー0〕

 一般部に出場の児玉はこの日は2試合行い1試合目は
首相撲からの膝蹴りで圧勝〔3ー0〕
 2試合目はKO負け
〔ハイキックをもらい倒された、児玉は練習時に常に私にガードが
低いから上げろと言われているが、これで本能的に直るであろう。
良い経験になった。〕

 岩本は初試合であったが激しい打ち合いの末、ドローであった、

 出場した4人共に試合内容も良かったと思っている。
 特に浩輝と梨菜は初めての試合とは思えない強さであった!

 試合後の新田中塾6週年も兼ねた食事会で私は楽しく
美味しく食べるのであった。





















平成28年9月16日

「Kー1アマチュア大会」

遂に田中塾から女子のチャンピオンが誕生した。
アマチュアではあるが、田中塾の高木心が、
Kー1女子アマチュアトーナメントにおいて優勝した。

田中塾が女子?!
周りではたまに驚きの声を聞いた。

私自身、女子選手は指導するつもりはなかった。
だが、心は、私が作った厳しい練習メニューも頑張って続ける姿を見て、
真剣にチャンピオンにしてやろうと思うようになり、
私はプロ女子キックの選手の方達にもアドバイスを聞き
参考にしながら指導にも熱が入っていった。

私は指導者として、数々の格闘技チャンピオンを育ててきたが
女子の選手育成は初めての挑戦でもあった。
そして一つの壁ではあるがアマチュアのチャンピオンにまで
強く育てる事に成功した、

試合後に心はたくさんの涙を流した。
だがこれは後に嬉し涙ではなく悲し涙であった事が判明する。
数ヵ月前から表情を見て薄々気ずいてはいたが………
まだ中学2年生である為、自立はできない。
大人と政治的な力によって子供の人生は左右されてしまう。
私は悔しくて残念である。

だが最後に、心が涙を流しながら私に言ってくれた言葉に
私は救われ嬉しかったのであった。




平成28年9月6日

「成田山・平和大塔」

人間生きていれば必ずストレスがたまる。
このところ私の身には理不尽な事が多くあり、自然とストレスがたまる。
こうなると私の場合、自然と誰もいない静かな所に行きたくなる。
不動明王様に手を合わせ、心で語りかける。
私が最も安らぎ、落ち着ける場所かもしれない………







平成28年8月17日

「佐渡島からの来客」

 修斗時代に、旧ジムで共に練習をしてきた、仲間の本間聡が
新潟県佐渡島から久しぶりにジムにやって来た。

 相変わらずの変人であるが、信用できる人間ではある。

 俺はへぎそばが好きだと言ってあったが、手ぶらで
短パンサンダル姿で来た事はちょっと残念であった。

 まあ遠くから来たし、行きつけの船橋某所で美味い料理を
ごちそうして、現在のお互いの近況を話し合い、
昔話をして、楽しかった。

 お土産のへぎそばは次回に期待する。






平成28年7月25日

 「船橋市民祭り」

 毎年恒例の船橋市民祭りにおいて、田中塾が初参加して
リアルジャパンプ ロレスとコラボして出品した。

 限定Tシャツは完売して、他のシャツも数枚だけ残し
ほぼ完売となり、船橋市民を盛り上げ、大成功に終わった‼

 物販部長の大西さんと、
途中で帰ったが応援に駆けつけたアレクサンダー大塚、
ご協力ありがとうございました。
そして当日手伝いに来たジム生達もお疲れ様でした。

 普段慣れない事をして、ぎこちなく疲れていたら、「船えもん」
が後ろから私の肩を揉んで応援してくれたのであった。









平成27年7月7日

「誕生日」

 年をとると1年はあっと言う間だ。
 気がつけば誕生日になっていた。

 プライベートレッスンのジム生の桑野さん家族からケーキを頂いた。

去年、描かれてたのは矢吹丈であったが、今年はなんだろうと箱を空けると
グレートマジンガーであった!
 今年も私の心のツボを捉えていた。

 その他、プレゼントをくれたジム生のみんなありがとう。



平成28年7月3日

「船橋市民祭」

 毎年恒例の船橋市民祭りにおいて、今年はスーパータイガージム田中塾
が参加して出店する事になった。

 今回はリアルジャパンプロレスとコラボして、共に、この日しか
販売しない限定Tシャツもあり、プロレスラーのアレクサンダー大塚と
謎のマスクマン?が応援に駆けつけてくれる。

7月23日(土曜)は船橋に集まれ!






平成28年6月20日

「高校柔道」

 母校柔道部の総体千葉県大会を観に、千葉県武道館へ久々に
行って来た。

 私の時代は、130校以上の出場数であったが、現在は76校と
少なくなり、会場にいる人達も3割は父兄であり、ガラリと変わった
会場の雰囲気になっていた。

試合を見ながら高校柔道時代を思い出した ........

練習中に水を飲むな!水を飲むからバテるんだ‼

骨折した時はテーピングを巻いて練習させられ、
お前のやる気があれば治りは早いんだ!と言われ、
練習の扱きでは、関節技は参ったをすれば、折れたり脱臼する
寸前で止めてはくれるが、絞め技の場合は絞め落とされ
(先生に絞め技を決められた時は参ったをしても止めてはくれず
落とされる暗黙の了解があった)
こんな根性論と軍隊式が我々の時代にまだ残っていた.......

 今でこそ、たまに練習での体罰問題をニュースで見るが
あれぐらいの事は私の時代は普通の日常だったのである。




平成28年6月5日

「へら鮒釣り」

 私は昔は釣り少年であった。

 釣りのなかでも、へら鮒と鯉釣りに没頭してた少年時代であった。

 へら鮒釣りは、場所選びから仕掛けと餌の種類と、へら浮きがあたる
細かいタイミングの瞬間に、合わせなければ釣る事ができない、
もっとも高度な技術が必要な淡水魚最高峰の釣りであり、今でも
全国に、たくさんのへら鮒釣り師がいる。

 へら鮒釣りにプロがあれば、私は格闘技をやっていなかったかも
しれない程である。.

 その私が、たまたま新聞のへら鮒釣り大会の記事を見て出場した。
 30年ぐらいのブランクがあるが、少年時代の感をつかめば上位や
優勝出来るだろう⁉と思ってたが........

 惨敗!

 私は4枚しか釣る事が出来なかった。

 釣り感も鈍っていた。
 しかも、重量では、一緒に同行したジム生の斉藤に200グラムの差で
負けカップと賞品をとられてしまった。

 この日の優勝者は、70代のおじいさんで、82枚釣り上げた。

 やはりへら鮒釣り師は凄い。
  屈辱感と悔しさを感じながら、釣り場を後にした。

 次回11月の大会で屈辱を晴らす。









平成28年5月25日

「吉田商店」

 新宿に来た時には必ず寄る店吉田商店。
 新宿西口思い出横丁のそばにあるTシャツ屋であり、
吉田とは私のキックボクシング時代に藤原道場で共に
練習した仲間である。

 この日は仮面ライダーTシャツを発見した。
 イラストバージョンと実写バージョンの2種類あり、
実にリアルで格好良い‼
 一発で、ライダーファンの心をつかむデザインであった。

 私は喜びながら見て選んでいると、

 「田中さん仮面ライダー好きなんですか!?」

 「大好きだよ」

 「まだ他の種類が在庫があるから今持って来ますよ、
       田中さんちょっと店番お願いしますね」

 「また今度来た時でいいよ!吉田!!」

 吉田は自転車で自宅?倉庫?へ行ってしまった ...


 私の販売員初デビューは突然始まった。

 ましてやこの店は駅近の人通り多い露店だから、
通行人がほぼ客となり、立ち止まった人がお客と決定となる。

 お客さんに仮面ライダーの事を聞かれたら答える事はできるが
他のTシャツの事を聞かれたら私は解らない。

 だから吉田が帰ってくるまでライダーTシャツを店頭に広げて
なるべく声かけるなオーラを出した。

 すぐに客が来ていろいろ見て物色している。
「いらっしゃいませ!」初めて使う日本語にもトライした。

 約15分後に吉田が戻ってきた。
 素晴らしい仮面ライダーTシャツを買って、
 短い時間ではあったが販売員デビューを経験して、
 7月23日の船橋市民祭りへの前哨戦にもなったのであった。

 田中塾長日記見ました、でTシャツを割引してくれるそうだ!








平成28年5月15日

「せんとうかいし」

 既に船橋市の銭湯は制覇しているが、
 船橋市の次に銭湯が多い、隣の市川市から攻めて行く事にする。

 千葉県銭湯制覇に向け戦闘開始!
 「銭湯開始」




平成28年4月16日 

「北海道・旭川」

 急遽仕事で北海道旭川へ行って来た。

 99年7月に掣圏道が旗揚げして、旭川を本拠地として北海道内全て
興行で周り、ロシア人達と共に過ごしたのもこの街である。

 私は、大雪山層雲峡温泉が大好きで、かつて何回か独り旅で行った事
もあったが、7年ぶりに旭川の街を歩いた。
 旭川駅は新しく改装され、立派に聳え立つ駅になっていたが、街中は
少しさびれた感があった。

 旭川に来た時に必ず食べるジンギスカン焼肉屋がまだ営業していて、
久々に入って食べた。店のおばちゃんは相変わらずで、さっきまで
生きてたような血のしたたるジンギスカンの肉も相変わらずで美味かった‼

 今回はあまり時間はなかったが、今度は温泉に入りゆっくりしたい
と思いながら4月の雪のふる旭川を後にしたのであった。









平成28年4月10日

「興和警備・西村政志社長」

 警備業界で知る人ぞ知るこの警備会社は、身辺警護、私邸警備、
精神病患者移送等、一般の警備会社が断る危険な4号特殊警備を
主な業務としている。

 私は以前、長い間在籍し、没頭して勤務し、日常では得る事ができない
経験もさせていただき、西村社長と興和警備には、今でも感謝している。

 最近、西村社長が身体の具合が悪くなり、倒れて入院している!?
と風の便りで私の耳に入り、西村社長に会いに、久しぶりに興和警備
を訪れた。

 すると、少し心配はしてはいたが、やはり社長は顔色も良く、元気で
私は安心した。

 噂は予想通り大袈裟であった。

 西村社長は脆く倒れる人間ではない。

 久々に社長に会うと、当然、実戦格闘技論の話しになるが、社長の場合は、
格闘技の域を超えた実戦論になる。
拳銃と日本刀より手裏剣が実際には有効である事等....

 社長が、手裏剣や包丁やドライバーを投げ的に命中させ、壁を貫通する
のは普通に見慣れているが、この日は木製の箸を投げて、真っ直ぐ見事に
貫通させる技を見せてくれた。

これは殆ど神業である。
私も手裏剣を、完璧ではないが、命中させる位にはなったが、
これはできない!

そして実戦論の話がまた続き、気がつけば外は暗く、夜になって
いたのであった。




平成28年3月16日

「ブラックジャック」

 ブラックジャックのような人間は存在する。
ゴトウカイロプラクティックの後藤先生である。

 格闘技歴30年以上の私の身体は、当然言うまでもなく、
怪我や古傷があり、常に接骨院と整体にお世話になる日々である。
 特に最近は腰痛がひどく、歩くのも辛い時もある。

 腰と首を中心に、いつもの顎関節と股関節を施術していただくと、
帰りは痛みも なくなり、楽に歩いて帰る事ができた。

 まさに魔法の手である。

 後藤先生、今日もありがとうございました。


 今思えば、たしか元ボクサーで自称整体師を名のる人間に、
私は股関節を施術させた。
その施術のやり方は、身体を引っ張ったり、ただ力まかせに捻ったり、
とにかくバキバキと音をさせて、さも治ったかのような気分にさせ、
錯覚させているだけのやり方で、その名も「武道整体」と名のっていた
言語道断のインチキ整体師であった。
 これにより私の股関節はさらに悪化してしまった事があった。

 その前に後藤先生と出会い施術してもらえていたら、こんな被害と
最悪な事にはならなかったのである、

みなさんもカイロや整体師は慎重に選びましょう。




平成28年2月28日

「RISEアマチュア大会」

 田中塾から立花、児玉、少年部の真之介が出場した。

 立花と児玉の二人は3ー0判定勝ち、真之介は相手の
パワーに押され3ー0判定負けであった。

 この日たくさん流した悔し涙を忘れず、次回に頑張ってほしい。




平成28年2月27日

「きんたろう」

 ジムでのプライベートレッスン後、一般合同練習が始まる間に
近所の喫茶店で一服する。

 そこには生後6ヶ月の「きんたろう」がいる。
生意気にも鋭い牙をもち、わんぱくで機嫌が悪い時には手に
噛みつかれ、出血した事もある。

 それでも憎めなく、かわいい奴で、気がつけば、きんたろうに
会いに行く日々が安らぎになり、楽しみになっていたのであった。





平成28年1月16日

「水木一郎」

 50点の内容であった……点数を付ける事ではないが
率直な感想であった。

 人それぞれ、
 格闘技を見たければ格闘技の会場へ見に行く、
 漫才を見たければ漫才の会場へ行く、
 歌手の歌を聴きたければコンサートやライヴ会場へ行くのであり、
 この日は、ライヴなのか、漫才トークショーなのか、
わからない中途半端な内容であった。

 主催者側にもいろいろ考えがあるかもしれないが、
水木さん単独のバースデーライヴは、代表曲以外のレア曲
聴きたくて、水木一郎ファンが一同に集まるのもこのライヴである。

 なぜ去年と同じ曲を歌うのか?

 会場に私は全く知らないがアイドルタレントが来てたらしく
ステージに上げて紹介までしていた。
 そしてまた長いトークショーが始まる…………

 こんな時間があるのなら1曲でも多く歌を聴きたいのである。

 会場にいた人達は皆同じ気持ちのはずである。
 この日歌ったレア曲「レーサーブルース」(グランプリの鷹)
によりギリギリ救われた気がした……

 頼むぜ!帝王!!



平成28年1月7日

「大晦日~新年~腕立て千回」

  大晦日は興議館にて佐山先生のプリンシプル、その後、
年越し蕎麦を食べて、例年通り靖国神社に移動し本殿に入り参拝をした。
  今年は暖冬のせいか、去年より大勢の人が来ていた。

  翌日は、鹿島神宮と香取神宮と船橋大神宮へ行き、古札を焼き、
新しい札をいただいてジムの神棚に供えた。

  そして翌日、これも例年通り、一人ジムにて腕立て千回を始める。
  今年は軽く5キロ走り、身体を暖めてから開始した。

  私の新年はこれに始まるが、去年は肩と手首の怪我で断念した。
今、腰痛で痛みはあるが気合いを入れて実行した。

  20、30代と比べると、反射運動力とスタミナは衰えてしまっているが
筋力はまだ衰えていない。
  むしろ、今のほうが重いバーベルを挙げる事ができるし、
短いラウンドなら現役のプロ選手とスパーリングしてもあまり
変わらない状態である。

  汗だくになり、時折声を出しながら腕立て千回を終え、
パンパンに張った筋肉を少し休め、銭湯に行き、熱湯風呂に浸かり
1年の始まりを感じるのであった。












平成27年12月20日

「田中塾忘年会」

 あっと言う間にまた一年が終ろうとしている中、
田中塾忘年会が行われた。

 ジム生が増えて店内いっぱいになってしまったが、
幸い当日来れなくなった者が数名いたおかげで、
何とか店内に収まった。

 一人一人から来年の目標を聞き、その後、毎年、豪華商品を
じゃんけんで決めるが、それじゃあ面白くないだろうとゆう事で、
タイガーマスク検定試験の真似をして田中塾長検定試験を行った。


田中塾・田中塾長検定試験

〔1〕田中塾長が少年の頃感化された映画は?
1、四角いジャングル格闘技世界一
2、地上最強のカラテ
3、ドラえもん〔のびたの恐竜〕
4、にっかつロマンポルノ

〔2〕 田中塾長が高校時代の部活動は何部?
1、レスリング部  2、空手部  3、柔道部  4、合唱部

〔3〕田中塾長の修斗史上最年少王者の記録は、今だ破られていないが、
チャンピオンになった時の年齢は?
1、18歳   2、20歳   3、21歳   4、22歳

〔4〕王者決定戦の時勝利した決まり技は?
1、左フックKO勝ち  2、腕十字  3、Vクロスアームロック 
4、アキレス腱固め、

〔5〕数多くの国に修行に行ってる塾長だが、まだ行った事がない国は?
1、アメリカ  2、イラン  3、ブラジル  4、ロシア  5、ミャンマー

〔6〕塾長の過去の真実が一つある!この中から一つ選べ?
1、実は塾長はリポビタンDのCM(腕の筋肉のパーツモデル)に
  出演してた時期があった
2、実は塾長は歌手の永井真理子と交際してた(1年でフラれて終わっている)
3、実は塾長はビートたけし、あの北野武から賞金を獲得している
4、実は塾長はアニメ歌手目指して水木一郎ボーカルスクールに
  通っていた時期があった。
5、実は塾長はアームレスリング関東大会8位になった実績がある。
※この問題正解は20点です

〔7〕新田中塾が設立5周年になったが道場開きを行った日は?
1、7月7日  2、10月3日  3、2月26日  4、9月22日、

〔8〕田中塾の心得、(   )の中を記入しろ
  人生には上がり坂があり下り坂があり苦難がある、だが最も恐ろしい
(   )がある事を忘れてはならない。

〔9〕昔はよく警察から職務質問を受ける事で迷惑していた塾長だが
今年の職務質問された回数は?
1、0回  2、3回  3、7回  4、10回以上、













平成27年12月11日

「リアルジャパンプロレス」

 佐山先生が欠場中のリアルジャパンだが、平日で7割りの
観客入りはたいしたもんである!!

 帰りは田中塾少年部の高田と真之介と、私が現役時代に
試合後に食べていた中華料理屋にてたらふく食べたのであった。




平成27年11月28日

「銭湯」

 私は銭湯が大好きである。
引っ越しをする時も、近隣に銭湯があるか必ず確認している。

 ロシアに移住する事も考えた事もあったが、日本の銭湯と
離れて暮らす事は出来なかった。

 それぐらいの銭湯好きな私にとって、嬉しい小冊子が発行された。

 昔に比べると少なくなってしまった町の銭湯だが、
今も根強く残っている船橋の銭湯と東京近隣は全て入浴済みだ。
 まだ行っていない千葉県の銭湯をこれから全て制覇する事にする。





平成27年11月8日

「パンクラスアマチュア大会」

 パンクラスのアマチュア大会に竹井が出場した。

 結果は、1回戦は安定した勝利であったが、2回戦は集中力が途切れた
感があり力尽きた。

 田中塾の古顔である竹井も40歳を過ぎ、仕事と家庭を両立しながらの
練習で頑張ってきたと思っている。

 次の試合に期待したい。






平成27年10月19日

「母校・八学生徒館」

 25年ぶりに母校を訪れた。
 現在の教頭先生が、私がジムを留守の日に、ジムまで
私を訪ねて来てくれたのだ。
 教頭先生は、私が現役時代に、試合会場まで応援に
来てくれた事もある格闘技が大好きな先生であった。
 改めて昔の初心に帰る気持ちも含め、母校に御挨拶に伺って来た。

 真っ先に、自然に向かった場所は武道場「生徒館」だった。
 柔道部時代はここで青春の汗を流したとゆう、楽しい部活動の世界ではなく、
今では考えられない稽古内容としごき、先生と先輩との上下関係等…
本気で死ぬかもと思った時も何度かあり、まさに地獄の虎の穴であった…

その生徒館(大正13年設立)が、国の登録有形文化財に登録されていた。
特に、天井内部の木造トラス構造は当時のままであった、

厳しい高校時代であったが、今の自分がある原点である。
懐かしい思い出を感じながら、教頭先生と昔話をしながら校内を見て歩いた。









平成27年10月3日

「5周年」

 新田中塾を設立して5年になった。

 4周年の時に盛大に記念パーティを行ったが、5周年という事で
練習後に田中塾行き着けの船橋某所で乾杯して、美味い料理を食べた。
 あえて小さくやろうと、急にやる事に決めたが、想定以上集まり
親方の料理作りに苦戦させてしまった。

 5年が経ち、ジム生も増えてきて、問題や事件や苦難もあったが、
なんとか5年を通り過ぎた今、佐山先生と、新しくて当たり前の格闘技を
作り始めている。

 それも含め、全身全霊で俺はやる。







平成27年9月14日

「プライベートレッスン」

 その名の通り、一般ジム生とは別のマンツーマン個人指導であるが、
最近増えてきている。

 毎月定期的に通うジム生は9名で、それとは別に、単発に入る人
が数名、たまにではあるが地方に出張指導に行く事もある。

 格闘技を通じて私を必要としている人がいる事は嬉しい限りである。

 プライベートレッスンのジム生達は、夜仕事で、昼間しか
時間のない人…
 スポーツクラブよりも格闘技のトレーニングで強くなりながら
メタボ解消したい…等様々である、

 中でも桑野さんはメタボ解消の為であるが、それ以上に家族と格闘技
の運動でコミュニケーションをとりたい理由で、奥さんと娘さん、息子さん
と茂原から通い、一緒に楽しく汗を流している。

 現在3ヶ月で5キロ減量している、頑張れ桑野お父さん!





平成27年8月9日

「RISEアマチュア大会」

 田中塾から児玉、高木心と真之助3人が出場。

 児玉がドローで、
心がTKO負け(今回の相手は本当に強かった)、
真之助は判定勝ち。

 3人共に頑張った!





平成27年8月9日

「栄養補給」

 暑い!

 この暑さを乗りきるためには、食も重要である。
 最近は足のフットワークも重く感じていたので、隠れ家にて
ジンギスカンとシカ肉、カンガルー肉とカエル肉の唐揚げを食べて
栄養補給をした。

 次の日は、足が軽快になった気もしたのであった。



平成27年7月12日

「誕生日」

 今月は私の誕生日であった。

 プレゼントや誕生日会はやらなくていいと言っていたが皆祝ってくれた、

 みんなありがとう!!






平成27年6月28日

「ロシア」

 ロシア滞在後半はラジオ番組出演をした。

 ロシアと日本の格闘技の違いについて…
日本人選手は昔と比べると何故弱くなってしまったのか…等の内容
の15分番組であった。

 過去に私は、シベリアTVのスポーツニュースで、
スタジオ生出演を3回程経験したが、
今回は全ロシアに放送される為、ロシアの友人で
日本語堪能のアントンに通訳してもらい、一言一言真剣に
会話させて頂いた、

 今回のロシア遠征は、喜怒哀楽もあり本当に疲れた。

 身も心も疲れ、ロシアを後にしたのであった。








平成27年6月15日

「ロシア」

様々な予定があった今回のロシア遠征であったが、
10年前のロシアパンクラチオンと比較すると、UFC的な
スポーツ的なルールに改正もされながら変化してきている。

あの殺伐した真剣勝負が、少しずつ無くなっていくのが、
寂しさを感じるのだが、これも時代の流れか!?

だが空席が一つも無い、超満員の会場の熱気は相変わらず
であった。


今回は、極東地域コムサモリスクにも訪れた。
ロシア戦闘機の本拠地コムサモリスクでは、「SUKHOI」に行き
今回2度目の入館であった。

もちろんカメラは禁止の条件で、いろいろな恐ろしい物を見せて頂いた。
格闘技だけでなく、軍事力も恐るべしロシア とだけを伝えておく…

極東コムサモリスク・ナ・アムーレでは、空を見上げると
今日も爆音靡かせ戦闘機が訓練している!



美術学校の生徒達が私の絵を描いてくれた。
3時間じっとしているのがちょっと辛かったが、
みんな一生懸命描いてくれた。

自分の顔がこれだけ並ぶと不気味さを感じたのであった。









平成27年5月26日

「ロシア」

またロシアに出発。
ロシアパンクラチオン世界大会であるが、
今回は出場を希望する勇気ある日本人選手は、残念ながらいなかった。

70キロ級だから、一人ぐらいは勇気ある選手がいると思ったが…
真実の世界を知るべきなのだか…

今回は、格闘技以外に様々な予定がある。
それでは、不思議な国ロシアにいざ出陣!



平成27年4月26日

「初代タイガーマスクチャリティ基金パーティー」

 先日、「初代タイガーマスクチャリティ基金パーティー」が白金・八芳園にて
行われた。

 これは毎年、年に3回行われ、協賛していただいている企業とその他方々から
寄付金を頂き、児童養護施設へ送られている。

 私も、毎回ボランティア活動させていただいている。

 施設の子供達に、ランドセルが1つでも多く寄付できれば幸いである。

 そして、毎回恒例となっている、森本さん(新田洋)に「行け!タイガーマスク」
を熱唱してもらい幕が閉じるのであった。






平成27年4月5日

「見えない敵!?」

 半年ぐらい前からジムの天井に穴があいていた。

小さな穴だったので気にはしていなかったが、気がつくと
500円玉位の大きさの穴に広がって、大きくなっている
穴の箇所も1ヵ所増えた!

これはハクビシンかもしれない!と中島さんが言った。
最近は、田舎よりも都会にいると言われているが、私も都内で
仕事の時にビルの屋上で、何回かハクビシンと遭遇している。
ロードワーク中にも見た事もある。

ハクビシンがキレイに穴をあけるだろうか?
他の小動物?
屋根裏に誰か居る?
盗聴器?

 …疑問だらけのこの状態を、私は徹底的に調べ確認しないと
気がすまなくなり、大家さんに許可をもらい、大工さんに頼み、
天井に穴をあけ天井裏を見て調べる事にした。

懐中電灯を照らしすみずみまで見たが、ハクビシンや
動物の糞尿等の形跡は無かった…

大工さんが天井点検口を取り付け、帰る時に
「俺も大工40年以上やってるけど、原因不明で不思議な
                         事は何度かあるよ~」
と言って帰っていった。
結果は何事もなく良かったのではあるが、私の中では解決できず
納得できないのであった。




平成27年3月26日

「隠れ家」

 隠れ家の某所にて、栄養補給をする。
 いつもの、山海鍋と石焼で、この日は猪肉を食べた。

 猪独自の臭みはあるが、これがまた野性味あって旨いのである。

 この日は寒かったが、体が暖まり、額に汗して食したのであった。






平成27年3月7日

「人間ドック」

 先日、初めて人間ドックを受診した。

 今まで、大まかな健康診断は年に1、2回やってはいた。
 別に、どこか痛くて苦しい訳ではないが、やはり、今現在の自分の
身体を検査して確認しようと思い、知人から名医を紹介して頂き、
この機会に徹底的に検査をして頂いた。

 格闘技歴30年になる私の身体は、骨と筋肉と靭帯の損傷は
当然の事で、日頃から接骨院と整体にお世話になってる日々だが、
酒もタバコもやらない私は、内蔵は大丈夫だろうと決めつけていた。
 尿と血液検査に始まり血圧、胃腸、胃内視鏡検査、腹部超音波、
心電図、24時間心電図ホルター、等初めての検査であった。

 以前から私は、スポーツ心臓の筋肥大型で、不整脈で、突然死も
あると言われているが、特に気にはしていない。
 自分の身体の強さを過信している訳でもなく、医者の言う事を信用
していないわけではないが、自分の身体は自分が一番よく知って
いるのである。


平成27年1月20日

「水木一郎」

  1月は、水木一郎さん単独のバースデーライブであるが、
去年は開催されず、私はこの日をずっと待っていた。

 水木さん単独のこのライブは、お馴染みのアニメ特撮ヒーロー
の主題歌だけでなく、挿入歌(第何話にでしか使われなかった
めずらしい曲等)を聞く事が楽しみで、熱烈な水木一郎ファンが
一同に集まるのも、このライブなのである。

 私ぐらいのレベルになると、「マジンガーZ」「コンバトラーV」
「バロム1」等は当たり前過ぎて、聞きたく無いわけではないが、
歌っている最中に、次ぎは何を歌うのだろう?・・・と考えているのである。

 この日は、「戦士ひとり」(バビル二世)を聞く事ができた。

 今回は、タイトルの通り、愛と哀がテーマのバラード系の
歌を聞き、子供の時の辛かった時を思い出したりもした。

 燃える雄叫び系の歌だけでなく、バラード曲もたくさん歌える
水木さんは、さすが“持ち歌1200曲”であり、伊達ではない。

 帝王・水木一郎の歌により、私は何度も勇気づけられ、
救われているのである。



平成27年1月13日

「武道の神様」

 香取神宮、鹿嶋神宮に行き、古い神札を焼き
新しい神札を神棚に納めた。

 今年は、私自身の身に大きな事が起こる
気がしてならない感じがする…






平成27年1月1日

「大晦日と新年」

 大晦日は、毎年恒例の興議館で佐山先生のプリンシプルで、
終了後に、皆で年越し蕎麦を食べて靖国神社に行き、
今年も本殿にて参拝をした。

 31日の夕方に火災があり、放火した馬鹿者がいて警察が
身柄を確保して事情聴衆だというが…

 過去にも、ぼや騒ぎは何度かあったが、靖国神社に放火する
人間は許されない事であり、事情聴衆後は、死刑にするべきである。
 放火する人間を見た時は、その人間を殺しても良いと法で
定めるべきなのである、

 心の怒りを感じながら靖国神社を後にした。





平成26年12月13日

「田中塾 忘年会」

 歳をとるにつれ、1年が本当に早く感じる。
 去年やったばかりだと思いながら、今年も毎年恒例の店で、
田中塾の忘年会を行った。

 今年は、仕事等で忙しく参加者は少なめだったが、旨い料理を
食べながら、各自みんなの今年の話と来年の目標等を聞いた。

 そして、二次会は朝までカラオケで歌うのであった。












平成26年11月29日

「隠れ家」

 隠れ家にて、独りめし。
 
 そこはある路地裏にあり、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪村に入り込んだ
雰囲気になる。
 そして、入り口を開けると、原始時代にタイムスリップする。

 この日は、石焼山海鍋に鶏肉と蛇肉を入れて煮込み、鰐肉を
石焼きで焼いて食べた。

 ほとんど調味料を使っていない質素なだしに、爬虫類と魚と野菜で
煮込んだこのスープがなんとも言えない美味さである。

 石焼きは焼いても煙が出ず、一度熱すると、火を止めても長時間
一定の温度を保つ。
 焼いてる時の音も静かである、

 文明人を忘れ、原始人になりきり食べつくす!
 残念ながらマンモスの肉は、もう食べる事はできないが、
私の隠れ家であり、安らぎの空間なのである。







平成26年11月19日

「油断」

 試合の近いジム生のミット持ちの時に、切られてしまった。

 ハイキックも入れたコンビネーションの途中、ミドルで蹴る時に
ミスをして、ハイキックを蹴ってきた。
一瞬避けたが、間に合わず食らってしまった。

 過去に何度か同じような事あったが、その時は避ける事ができた。

 私の反射神経が鈍くなったのか?

 プロの選手のミットは、タイミング良く、的確に打って蹴ってくる為、
リズム良く持つ事ができるが、アマチュア選手の場合は、当たる場所も
タイミングもバラバラで、手首や肘肩を痛める事がある。

 たまに金的を蹴られてしまう時もある。

 蹴ったジム生は、ひたすら私に謝ってたが、瞬間的に避けきれず
食らった私も油断があったのだろう。

 過去のキックボクシングの試合で、相手をKOする寸前の所で、この日と
同じ所に肘打ちを食らい、逆転TKO負けした嫌な思い出を思い出してしまった。
 怒りが後からこみ上げてきたのであった。




平成26年11月17日

「北斗旗」

 第4回世界空道選手権大会を見てきた。

 予想通り、ロシア選手の独占場だった。
 ロシア選手同士の決勝戦も、普通になっていた。

 この日出場したロシア選手よりも、さらに強くて凄いロシア選手を、
ロシア現地のパンクラチオンで、日頃見ている私にとっては、驚きも無く
普通に見ていた。

 この日の試合を見た限りは、大道塾の日本選手達と指導者達は、
ロシア人に勝つ為の術をよくわかって無いのでは?  と率直に思った。

 よく言われている、ロシア選手の身体能力に負けない体力トレーニング等は
勿論必要で、当たり前だが、勝つ為には、ロシア人の国民性、気質を
理解しなければならない。

 これは相手との駆け引きで精神論になるが…

 それは何か?

 簡単には書きたくはない。

 私自身ロシア人の弱点を見つけ出し、実践し証明するまで、数年かかった
のである、
 余計なお世話だが、選手と指導者が一丸となり、表彰台に日本人がいる
事を次回は期待したい。

 頑張れよ 大道塾




平成26年10月20日

「スーパータイガージム田中塾4周年」

 今年の10月で、新ジム設立4周年となった
「スーパータイガージム田中塾4周年パーティ―」を行った。

 4周年という事ではあるが、格闘結社田中塾、津田沼時代から数えると、
私が30歳で現役選手を終え、指導者となって15年目であり、15周年でもある。
 先生または塾長と呼ばれるようになり15年になった。

 格闘結社を改名して、スーパータイガージムとしたのは、強面を柔らかくする
意味もあるが、群馬スーパータイガージム渡部館長と共に、
スーパータイガージムの灯りを消さず、そして原点に戻る意味もあり、
「スーパータイガージム田中塾」と改名した。

 佐山先生の造り上げた、この日本で最初の総合格闘技ジムであるが、
当時は本当に大変な時代であった。
 「真剣勝負」という当たり前の事を、「真剣勝負」と主張しなければ
いけなかった事等…数え上げればきりがない。

 私の時代は、結果的に総合格闘技のレールを作る事に成功した。
 そして現在、総合格闘技は定着されるようになった。

 だが、私も佐山先生同様、格闘技界にまだ宿題を残しているのである。

 パーティは皆で盛り上がり、佐山先生から感激の言葉も頂いた。
 最後は、竹山さんの若獅子寮の歌で幕を閉じるのであった‼

 この日来て頂いた関係者の皆様、本当にありがとうございました、
私は幸せ者である。
















平成26年10月10日

「特訓」

 10月19日のKー1アマチュア大会に出場する竹井、立花と
少年部の高木姉弟が日々の練習に頑張っている。

 4人の勝利に期待したい。




平成26年8月30日

「新看板」

 ジムの新しいマークと看板が出来上がった!

 いろいろトラブルもあったが、結局、ジムの隣も駐車場になり、外観も
見晴らしも良くなった。

 リニューアル化された感じでもある。

 さて、10月の試合に出場する4人の選手の為にも、俺はまた燃える!




平成26年7月26日

「平和大塔」

 暑い!

 これだけ暑いと、涼を求め、涼しい所に行きたくなるが、私の場合は、
心が安らいで落ち着く所に行きたくなる。

 成田山・平和大塔に行き、不動明王様に、迷いや悩みを心で語りかける。

 信じる信じないは自由だが、数日後にはひらめきが生まれ、実行し、
それでうまくやってきた。

 公園下のベンチに座ると、蝉の鳴き声と涼しい風が気持ちよく、
少し居眠りをしてしまった。
 本当に、私にとって心が落ち着く場所である。

 帰りは、いつもの店で鰻を食べる。
 もちろん国産上鰻重だ。
 この日食べたのは広島県産であった・・・旨い!








平成26年6月27日

「ワールドカップ」

 私はサッカーには全く興味ないが、テレビをつければ
ワールドカップの話題ばかりである。
 そのため、嫌でも情報が耳に入ってくる。

 日本は、負けたそうだ。
 選手が一生懸命やったのであれば、それはそれでいいのだが、
TVの解説で言い訳が始まっていた。

 現地までの移動時間が長かった。
 現地の気温と湿度が日本選手には不利だった等…

 相手も同じ条件だ バカ野郎!

 それを話していたのは、元サッカー選手であった。
 見苦しい言い訳に、チャンネルを変えたが、他のチャンネルも
同じような番組であった。
 試合に負ける時は、いろいろな事が絡んで負けにつながる。
 体力面、技術、メンタル面、監督の指導・・・どれも不可欠である。

 思えば2005年7月に、要人警護の仕事でレアルマドリュートの
選手が日本来日の際に、警護をした事があった。
 3日間であったが、選手達と共に同行し練習風景も見てきた。

 その時私が感じた事だが、裸になった選手の身体を見て、これじゃ
日本選手は勝てない、と率直に思った。
 ただ、筋骨隆々だからとかではなく、強さを感じる肉体であった。

 私は、サッカーの事は素人で何も知らないが、選手の体つきを見て
優れた質の筋肉と骨格を見抜く眼力はある、

 この時見た試合は、私から見たら「機関銃VS槍」の戦いに
感じたのであった。


平成26年6月20日

「藤原祭り」

 6月19日、後楽園ホールで藤原敏男主催の藤原祭りが行われた。

 大会の打ち上げ後に、藤原先生に呼び出され、
別の店で二次会となった。
 真剣な格闘技座談会になった。

 藤原先生の現役時代の目白ジムでの事、なぜ引退する事に
したのか、今の格闘技界の現状と今の若者達への育成指導
の話・・等、
 私は久々に、藤原先生と熱く、話をした。

 一緒にいた私の兄貴分である竹山晴友さんは、意外な事に
藤原先生と会話するのが始めてであったようで、大沢昇先生の
話も交えながら熱いまなざしで会話していた。

 そして深夜遅くまで語り合いが続いていったのである…




平成26年6月3日

「水木一郎VSささきいさお」

 こんな凄い対戦カードがあるだろうか!

 まさに、帝王VS大王の戦いであり、私の中ではこれに勝る
マッチメイクは、今後すべてのジャンルも含め、あり得ない
と思っている。

会場の六本木EXシアターは、同世代の観客で埋め尽くされた。

 今回のタイトルは、「六本木大決戦・東映ロボット軍団Z」。
 水木さん、ささきさんの、持ち歌のロボットアニメソングを
歌い合う内容であった。

 私の世代は、皆この二人の男の声を聞いて育ってきている。
(子門真人と堀江美都子も含める)

 まだビデオも普及してなかった時代に、テレビのブラウン管
を通じて、正義とは何かを学んだものである。
 聞いていて、幼少期を思い出し、こみ上げてくる気持ち
にもなった。

 二人の勝敗?
 勝敗など決められるわけがない!
 永遠に決着のつかない対戦カードであろう。

 この日、会場にいた人達、皆同じ気持ちである事であろう。






平成26年4月23日

「RISEアマチュア」
 
 4月20日のRISEアマチュア大会に、竹井、池田の2名が出場した。
竹井は判定勝ち、池田はドローの結果だった。

 主催者側の都合で、マスターズのクラスではなく若い選手に混ざっての
一般部出場であったが、2人共よく頑張った。





平成26年4月18日

「道場破り」

 最近の道場破りは実にキレイに看板を外してゆく。
そして、その足取りは軽快で、鉄のパイプを軽々と持ち上げ足場を組み立てる。
後は、キレイに後かたずけをして、礼儀正しく去ってゆく、

 そりゃ20代の頃は、若気の至りでそれらしき人物を私はかなり可愛がった
記憶がある。
 しかし、今は「道場破り」と言う言葉が無くなっていきそうな感じである。
そんな訳で、ジムの前の大家さんの家の取り壊し解体工事が始まり、
看板が一時的に撤去される事になった(ジムは平常通りやってます)。
 
 現代的道場破りに、私は為す術もなく、久々に敗北感を感じるのであった。



平成26年4月11日

「ヨシクラデザイン」

 イーファイトを運営している、ヨシクラデザイン代表である吉倉さんに
お願いされていた、ロシアのインスタントラーメンとチョコレートの
お土産を事務所に渡しに行った。

 吉倉さんは、同じ年でもあり、色々な会話をして盛り上がる。

 この日は、別件の話もあり、伺ってきた。



平成26年4月7日

「第二の故郷」

 桜木は2RKO負け(右ハイキック)であった。

 今回のロシア遠征は本当に疲れた。
 何が疲れたかと言うと、ハバロフスクからブラゴジェシチェンスク
までの移動である。
 500キロ以上の距離を、車で、150キロのスピードで、
ほぼ半日をかけて、試合会場まで移動した。

 そして、都合により、桜木と同部屋になってしまった事だ。
 桜木の「いびき」の大音量と地響きは凄まじく、まるで怪獣であった。

 眠たいのに眠れない!

 ネズミの足音でも起きてしまう私にとって、かなりの苦痛だった。
 隣の部屋の人も迷惑してたはずだが、試合を控えてる桜木を
起こすのもかわいそうだし、耳を抑えながらひたすら耐えたのである。


 不思議な事だが、ロシアにこれだけ浸かっている私は、ロシアに来ると
故郷・地元に帰ってきたような感があり、帰る時はさみしさが
こみ上げてくるのである。

 特に、ロシア・ハバロフスクは第二の故郷と言っても過言ではないであろう。











平成26年3月27日

「ロシアパンクラチオン」

 200411月にロシアに初めて行き、ロシアの総合格闘技を見て以来
日本の総合格闘技にはすっかり興味無くなってしまっている私にとって、
格闘技は、メディア、演出、興行論ではない、
 あくまでも強さにこだわる、最強論を追求しながら、自ら様々な
格闘技に挑戦してきた。

 海外にも渡り、各国の格闘技を体験し視察もしてきた。

 そして、最終的にたどりついたのがロシアパンクラチオンと言っても
過言ではないだろう。

 下になって抑え込まれてる選手が、上の選手をKOする真実

 フロントスリーパーが確実に絞まっている中、ほぼ首の力で
持ち上げ相手を投げてしまう真実

 日本のチャンピオンが、入門6ヶ月のロシア選手に半殺しされて
しまう真実

 何年もロシア人とたずさわっているが、薬物使用している選手を
1度も見たことが無い真実
(これが普通だがなぜここで言わなければならない?)

       等、考えられない事がロシアでは普通の出来事となる。

 いゃー!ロシア選手は身体能力が凄いですね…
(ロシア人と試合をした日本人選手が必ず言うセリフ)

 馬鹿野郎、全てがお前より上なんだよ・・とは、私は何回選手に
言った事だ。

 池の中のチャンピオンにはわからないかもしれないが・・・・・


 そして、今回は止めろと言ったが、こんな怪物達との闘いに
骨折治ったばかりの桜木が出場する。

 それでもロシア人と対決する意味は、私達にしかわからないかも
しれない…


 では、まもなく30回目を向かえるロシアに出発する。



平成26年2月8日

「大雪」

 こんなに雪が降り積もるのはいつ以来だろうか。
 風も強く、ジムの看板も雪に包まれ見えなくなっていて、叩いて雪を
落とした程であった。
 路地道も、膝の所まで積もっていた。

 こんな状況で練習に来る者がいるのか?
 と思ってたら、少年部の真之助と心がやって来た。

 いつもは、自転車で来るが、今日は家から4キロを歩いて練習に来た。
 私はちょっと嬉しくなった。

 その反面、うちの大人達は、雪と関係なく最近サボり気味であり、
二人を見習って欲しいものである。
 今日の私は二人の少年・少女に救われた。





平成25年1月25日

「特訓」

 2月11日に、試合を控えてる桜木が、うちに特訓にきている。

 今回はムエタイルールで、相手も強敵のようだ。
 いくつかの戦闘パターンを教え、作戦等の指導をしている。

 相手が強敵の時だけ、私を頼って来る調子のよい桜木であるが、これから
精神状態を良いように、上げて行く指導して行く。

 2月はうちの選手も試合がある為、忙しく疲れるが充実した日々である。




平成26年1月9日

「新年と腕立て伏せ」

 私の新年の始まりは、一人ジムで腕立て伏せ千回が、
恒例の行事になっている。

 しかし、今年は、いろいろ予定が入っており、元旦と2日はジムに行けず、
3日は2月に試合を控えている中島(フリースタイルカラテ)、
和地、池田(ナイスミドル・新宿フェイスに出場)の3人を特訓する事になり、
共に強化練習を行った。

 そして、4日の15時に腕立て伏せ千回を開始した。

 途中、限界になってくると、手の幅を変えたり、手首の向きを変えたり、
足を少し広げたりして、若干違う筋肉を使いながら、回数をこなしてゆく。

 私自身の決めた条件として、膝を床につく事以外は、
途中で休むのもありとしている。
 片手だけ床につけ、片手は上げて回したり・・等しながら続行する。

 だが千回になると、腕と胸の筋力だけでなく、腹筋力と背筋力もなければ
続けることは出来ない。

 声を張上げながらも続けたが…
 途中断念する事にした。
 言い訳だが、古傷の左肩と右肘がやはり傷みだしてしまった。
 特に頸椎からくる腕の痺れは酷かった。

 強引に続ければできるだろうが、しばらく腕を使えなくなり、
ミットを持つ事が出来なくなると判断して止める事にした

 今年は不完全に終わったが、銭湯に行き、湯上がりに船橋港の
海の夕日を見ながら、「今年も気合いを入れていくぞ!!」と、自分自身に
誓うのであった。





平成26年1月1日

「大晦日と新年」

 今年も大晦日、興議館にて、佐山先生のプリンシプル特別講演会が
行われた。

 去年同様、多くの方達が集まり、真実の世界歴史の話に耳を
傾けていた。

 講演終了後、皆で年越し蕎麦を食べて、靖国神社に行き、
本殿に入り参拝させていただいた。








平成25年12月21日

「田中塾忘年会」

 田中塾の忘年会が、毎年恒例の船橋某所で貸し切りで行われた。

 さすがに、全員参加とはならなかったが、店内は満員の熱気だった。

 1人ずつ、今年を振り返り、来年の目標を聞かせてもらった。

 そして、親方の作るこの料理!この旨さ!永久不滅である!

 少年部の真之介は、食べ過ぎてお腹を壊し、翌日の練習を
早退してしまったのであった。












平成25年12月23日

「マーシャルアーツ」

 部屋を掃除したら、懐かしい格闘技雑誌が出てきた。

 当時少年だった私は、発売日も決まっていなく、いつ発売するかも
わからない、この格闘技雑誌を毎日首を長くして待っていた。

 昔の格闘技雑誌といえばゴング(プロレス・ボクシング・キックの方)
しかなく、プロレスが大半で、ボクシングとキックは半分もなかった。
 キックボクシングの低迷期には、後半の僅か数ページのランキング表
ぐらいしか載っていなかった。

 それでも私は、格闘技に夢中になっていた。
 当時は、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が爆発的な人気だったが、
それらに興味がない私は、鉄アレイでトレーニングしたりパワーリストを
着けたりしていた。

 小学生の時に、大人になったら格闘技をやろうと思い、
 中学の時は暇さえあれば体を鍛え、格闘技のチャンピオンになる事を決め、
 高校の時は格闘技に生きると決めていた。

 本当に格闘技だけに燃えていた。

 そしてプロ選手となり、王者となり指導者となり、現在も延長線上に
続いている。

 当時のそんな時を懐かしみながら、「マーシャルアーツ」のページを
めくっていた。

 掃除は別の日にやる事にした。



平成25年11月8日

「しんざん」

 行きつけの店である船橋駅前「しんざん」が閉店する事になった。

 10年通ってた牛すじ屋で、もうここで食べられないと思うと
寂しく感じる。
 マスターの平山さんは、よく私の愚痴や悩みを聞いてくれて
的確なアドバイスをしてくれたのであった。

 ありがとう
     しんざん

 さよなら
     しんざん






平成25年11月6日

「タイガーマスクチャリティ」

 白金台八芳園にて、「初代タイガーマスクチャリティー基金パーティー」が
行われた。

 今回は、河野公平(元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン)と
佐藤修(元WBA世界スーパーバンタム級チャンピオン)が来てくれた。

 試合前の練習と、減量等の内容を話しをした。

 そしてメインは、私がいつも楽しみにしている、森本英世(新田洋)さんの歌
「行け!タイガーマスク」である!
 他の歌も、4曲も唄って頂き、とても良かった!

 「みなしごのバラード」を歌う雰囲気にもなったが、残念ながら聞く事は
できなかった。
 次回に唄っていただける事を期待している私であった。



平成25年10月23日

「実戦格闘術」

 私の格闘技術が連載されている「KUROーOBI」BABジャパン、
「達人」東邦出版に続き、達人シリーズ第十三巻が発売された。

  DVD付きなので、これを参考にして、お役にたてれば幸いである。



平成25年10月14日

「士道館」

 竹井、中島 初戦敗退。

 慣れないルールだが、40代の大人げない大人3人共によく頑張った。





平成25年10月5日

「想定外」

 「週間女性」から取材があった。
 ちょっと恥ずかしい内容であったが、知人から頼まれ、取材に応じる事
になってしまった。

 私が「週間女性」とはなんとも以外!?想定外!?であった!?



平成25年9月20日

「釣り」

 先日の巨大魚を見てから、無性にまた釣りがしたくなり、
近場の釣り堀に行った。

 2メートルの巨大魚が釣れるわけではないが、鯉を19匹釣り上げ、
昔の感触を取り戻した感じだ。

 ウキの微妙な動きに合わせ、瞬時に竿を上げ、糸から竿に伝わり、
手に伝わるこの感覚が何ともいえない!
 釣り堀の竿は硬い竹竿の為に、魚との引っ張りあいが半減するので
やはり自前の竿が良いと思った。

 帰りは、気がつけば上州屋に行っていた。





平成25年9月7日

「他流試合」

 10月14日の士道館ストロングオープントーナメントに出場する

竹井、中島が気合を入れて練習している。

 共に40代である。

 私も久々に道着を着て、3人の為に、ルールに合わせたスパーリング
をする日々である。


平成25年8月30日

「MRI」

 ついにMRIデビューしてしまった。

格闘技を28年やっていれば、当然身体のあらゆる部分が壊れている。

 日頃、接骨院とカイロで治療しながら、何とかしているが、ここ2、3年は、
特に、古傷の股関節と脛椎と腕の痺れが酷くなっていた。

このため、MRIで詳細に検査して治療する事にした。

 本来なら、もっと早くMRIデビューするべきだったが、身体の強さと回復力に

絶対の自信を持っていた自分と、老化を認めない自分が、これを許さなかった
のである。

 まったく、大人げない大人である。
 これからは、身体の衰えを素直に認めながら鍛えていく事とする。


 だが、医師はいろいろと言うが、自分の体を一番知っているのは自分自身
なのである。



平成25年8月17日

「巨大魚」

 巨大魚を釣り上げた!

 と言っても、私ではなく、知人が私に見せる為にカジキ(200キロと
100キロ)を釣り上げてきてくれた。

 日本大会ならチャンピオンクラスだが、世界大会だと500キロ級を
釣り上げるらしい。

 私も昔、釣り少年だったが、へら鮒専門でカジキは釣り上げた事が
無いので、機会あれば挑戦したい。

 運んで来た冷蔵トラックの中で、解体して「焼」と「刺身」の両方を食べた。

 美味かったのであった。






平成25年8月12日

「ドライTシャツ」

 暑い!

 汗かきの私は、綿100%Tシャツだと汗をよく吸うため、すぐ脱がねばならない。
 その為、この時期は、ドライTシャツを当たり前のように毎日着ている。

 新しく作った、うちのドライTシャツ(Vネック)が最高の着心地だ!

 速乾性、通気性、ストレッチ性、光沢感、と汗をかいた時の冷却感、
Tシャツとしての最大公約数を秘めていると我ながら思っている。

 「虎の穴」にも身につける快適は必要なのである…




平成25年7月23日

「SP」

 安倍晋三 総理が船橋駅前に演説に来た。

 演説にはさほど興味なく、SP達(警視庁警護課)の動きと行動を
私は監視していた。
 私は民間のSP警護員である為、国会議員のSPは経験ある。
 総理大臣のSPは不可能だが、参考の為に見るようにしている。

 この日は、車の回りにアタッシュケースを持った警護員4名(これは、
何者かが襲って来た時に開き防弾防刃の盾にする為である)、
通り道に10名、一般人に紛れて8名、車両も入れて約30人が、
船橋駅南口全体に鋭く目を光らせていた。

 TV等の影響で派手でカッコいいイメージだが、実際は、地味で
ものすごく我慢と忍耐力が必要な仕事なのである。





平成25年6月30日

「わが道」

 先日、2年程お世話になった組織を辞める事になった。
 人間社会では、一生懸命やっていても、認められないどころか、
批判される事がある。
 人により、見る角度や考え方が違うのは仕方ない事だ。

 しかし、黒いものは黒であり、絶対に白とは言えない私の性分では
限界があったようである。

 このストレスは、いつもはスパーリングで発散するが、そんな気
にもなれず、酒を飲めない私は、歌で発散した! 
 ジム生の池田さんの経営するスナックで熱唱した!

 他のお客さん達も、私の歌を喜んでくれて、店内は自然と
私のスーパーライヴになっていったのであった。




平成25年6月23日

「日曜クラス」

 日曜クラスが盛り上がっている。

 11時~13時のこのクラスは、スパーリングは一切行わない
技術練習のみになっている。
 ジム生全員が、激しいスパーリングをやりたいわけではないし、
私自身も、格闘技術の再確認をしたくて作ったこのクラスは、
人気がある。

 この後の時間に、プライベートレッスンがあり、私が一日格闘技漬け
になる日でもある。





平成25年6月3日

「猿の軍団」

 忙しい日々である。

 ほぼ毎日、いろいろな出来事と事件が起こる。

 それを塾長日記に書くか?やめるか?・・・迷い!?忙しい理由もあるが、
書かずじまいの日々でもある。

 そんな多忙の合間に、1話ずつ楽しみに見ていたドラマ(DVD)
「猿の軍団」(昭和49年TBS放映)の最終回を先日見終わった。

 当時子供だった私は、内容の記憶が薄れている為、再確認したくて、どうしても
見たかったのだ。

 改めて見ると、やっぱり凄いSFドラマであった。
 タイムスリップした4人の人間が、猿しかいない世界に着てしまい、戦かったり、
助けられたり、チンパンジーとゴリラの派閥抗争 等、
私は大人げなく泣く場面もあった。

 昭和の時代は、素晴らしい特撮ドラマがたくさんあったのである。


平成25年4月26日

「行け!タイガーマスク」

 初代タイガーマスク基金チャリティーパーティーが、八芳園にて行われた。

 活動報告とオークションや映画の宣伝、歌謡ステージ等が行われた。

 そして!森本英世さん(新田洋)のタイガーマスクの歌があり、私は最高
に嬉しかった!
  タイガーマスク二世の歌は、水木さんのライヴで何度か聞いているが、
初代タイガーマスクの歌を生で聞くのは、初めての体験であった。

 森本さんと、タイガーマスクの歌についてお話しさせていただく事もでき、
最高の日となった。







平成25年3月24日

「リアルジャパンプロレス」

 佐山先生率いるリアルジャパンプロレスを、陰ながら支える
仕事をする事になった。

 今後は、いつも忙しそうにしてる、平井さんのサポートをする
ような形になるだろう。

 今大会も満員で、会場の根強いファン逹は、熱い声援を送っていた。



平成25年3月9日

「プライベートレッスン」

 個人指導も始める事にした。

 旧道場の時からでもあったが、何故か、「私に指導してもらいたい」と、
やって来る者がいる。

 北海道や仙台、大阪や地方から、ホテルに宿泊したり、こちらにアパート
を借りてまでして来る者もいた。

 プロの総合格闘技の選手でも、試合前に時々来る者がいる。

 私から「何か?」を学びたくて来るのは、それはそれで、私も嬉しい事で
もあり、様々な人に教えていきたいと思う。


平成25年2月1日

「東金ジム」

 越川昭代表の追悼式が、MAキックのリングで行われた。
 東金ジム歴代選手が集まり、私も参列させていただいた

 私がキックに挑戦してた時期の、東金ジムでの練習、越川代表との
密度の濃い思い出は沢山あり、今の私の人生にプラスになっている

 追悼式終了後に、久々に会う東金軍団の仲間達との食事をしながら、
思い出話等をした。

 越川代表、 ありがとうごさいました。
 心からご冥福をお祈りいたします。








平成25年1月13日

「武道の神様」

 今年も、田中塾の必勝祈願と道場生の皆が大怪我なく過ごせるよう、
鹿島神宮と香取神宮に参拝に行って来た。

 もちろん、要石からもエネルギーをいただいてきた。



鹿島神宮 要石


鹿島神宮 さざれ石


香取神宮 要石


平成25年1月2日

「新年」

 大晦日は、興議館で行われた佐山先生のプリシンプルに行き、武士道精神と
日本の歴史等のお話を聞かせていただいた。

 あっという間の3時間であった。
 田中塾の道場生からも3名参加した。
 
 講演終了後は、参加者と年越し蕎麦を食べて靖国神社に行き、本殿に入り
参拝させていただいた。

 今年も様々な苦難もあるだろうが不動心で乗り越えて行くぞ!







平成24年12月30日

「忘年会

 23日、毎年恒例の船橋某所にて、田中塾忘年会を開催した。

 今年ジムに入会した者は初参加であり、この料理のボリュームと旨さに
感動していた。

 そして、ここで例年ならば、私がプレゼントを用意し、「じゃんけん大会」
を開催するのであるが、今年は指向を変えて「クイズ大会」を開催した。
 クイズ問題は、私に関する問題である。

 勝者2名にプレゼント(商品)が当選するわけだが、捻りを加えた、マニアック
な問題を準備したので、3問題目ぐらいで終わるだろと思っていた・・・。
 ところが、殆ど全員が正解し続け、想定外の事態となった。
 急遽、私は頭の中で新たな問題を作り、敗者復活戦まで行い、最終的に残った
のは和地康彦であった。

 そして、これも恒例の、全員の自己紹介・来年の目標等を聞き、楽しい忘年会
が過ぎて行った。








平成24年12月3日

「水木一郎」

 水木さんのライブに行って来た。

 今回は、「マジンガーZ40周年記念ライブ」である。
 原作者の永井豪さんと、水木さんがマジンガーZの思い等を語り、
そして、いつもの歌はもちろん、滅多に歌わない挿入歌も聞くことができた。

 私は、エネルギーを吸収して会場を後にした。

 「水木一郎」  最高の男である

 「マジンガーZ」様  40周年おめでとうございます。






平成24年11月17日

「餅は餅屋」

「35秒でした!」
 ジムで練習中に、桜木対菊田の会場にいる者から電話があった。

 5秒オーバーしたようだ。

 この試合の数週間前に、桜木からロシアパンクラチオンとほぼ同じルール
で試合すると連絡があり、相手は日本人だと言う。

 日本人の総合格闘技選手にも、 勇気ある奴(勘違いかもしれないが)いたのか!?
 私は少し嬉しい気持ちになった後に、桜木に言った

「俺は今まで、お前に絶対に勝てと言った事ないよな。
 だが今回は必ず勝て!  負けは許されないぞ!意味わかるよな。」

「押忍、分かっています。」

「速く終わらせろよ。」

「押忍、心してやります。」


 数日後、私は桜木に、再確認の意味もこめて精神論理のメールを送った。
 桜木は充分分かっていた。
 内容は難しくなるのでここでは書かない。

 ヤクザが、格闘技をやっていない一般人と喧嘩して負ける事が許されない事
と同じなのである。

 だが5秒オーバーした桜木に、何のペナルティーをしようか、今考えている。


平成24年11月5日

「他流試合」

 田中塾の古河が士道館のトーナメントに出場したが初戦敗退した
(ローキック1本負け)。

 田中塾の選手が1回戦で負けるのは、何時以来の事だろうか…

 賞金がかかっている為、キックのプロ選手も出場している。
 古河の相手は、プロ13戦の選手であった。
 今の古河では厳しい相手であった。

 だが、とても良い経験になり、この悔しさ忘れず、這い上がってほしい。



平成24年10月28日

「他流試合」

 田中塾の中島久仁夫がIBMAフリースタイル空手に出場した。

 試合全体的に優勢に攻めて勝ったと思った選手が負けて、負けたと思う選手
が勝ったり、よくわからない大会であった。

 だが、母体がフルコンタクト空手のルールの中で、3回戦まで勝ち上がった
うちの選手はたいしたもんだと思いながら会場を後にした。




平成24年10月17日

「ロシアパンクラチオン試合結果」

 大石は1R28秒KO負け(バックスピンキックから左飛び膝蹴り)

 瓜田は1R4分48秒1本勝ち(フロントチョーク)




平成24年10月5日

「ロシアパンクラチオン」

 ロシアパンクラチオン極東大会に出場する、瓜田、大石と共に出陣!

 今回も相手は強敵だが、ベテランの2人は大和魂を魅せてくれるはずだ。


平成24年9月30日

「40代」

 うちのジムは、40代が気合いを入れて頑張っている。

 今日は極真カラテ、日本拳法、大道塾、新空手等・・・
異種格闘技戦のようなスパーリングだった。

 10月28日IBMAフリースタイル空手と11月4日士道館ストロングトーナメント
に出場選手が燃えて練習していた!

 大人げない大人の男たちである。






平成24年9月23日

「平和大塔」

 忙しい合間をみて、成田山 平和大塔へ行って来た。

 不動明王様に心で語りかける。
 背中が熱くなり、また不動明王様から何かをいただいた。

 公園内を歩くと、風がとても気持ち良かった。

 来月は、またロシア遠征で忙しくなる。
 6日サハリンでパンクラチオン、14日ハバロフスクでキックボクシング、
日露格闘技大戦争が始まろうとしている。








平成24年7月26日

「花火」

 今日は、船橋の花火大会があるせいか?

 この暑さのせいか?

 今日は道場生が少なかった。


 窓を開けて花火大会が観れるなんて、我ながら最高のジムだな・・・
と思いながら花火を見ていた。






平成24年7月22日

「誕生日会」

 7月7日生まれの私に、友人と道場生が、船橋某所にて誕生日会を
やってくれた。

 プレゼントだけでいいと言ったが、せっかくのご好意を頂く事にした。

 毎年、誕生日には誰かしらからのプレゼントは頂いているが、誕生日会
は、久々であり楽しかった

 みんなからエネルギーを貰った43歳の男は、また前に歩き続けるの
であった。





平成24年7月16日

「マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟」

 久々にMAキックを観に行って来た。

 会場で、後輩や先輩、役員の方々と久々に会い、お互いの今の近況
の話等をする事ができて楽しかった。

 良い思い出も、悪い思い出もたくさんあるMAのリング。

 そして私には、残された宿題がある。

 そろそろ復讐のため、戦闘を開始したい。




平成24年7月4日

「男のズボン」

 私は昔からズボンにこだわっている。
 また新しく一本新調した。

 最近のスーツや服は、タイトに細身で、ズボンもノータックで、かなり
細目の作りになってしまっている。

 体型的に合わない理由もあるが、ボンタン世代の私は、まず渡り幅、
股下、ベルトの通し、タック等のデザインは妥協できないのである。

 最近は、この系統の店も少なくなってしまった。

 男は、ズボンにこだわるべし!!




平成24年6月3日

「新空手」

 古河が優勝した!

 古河は陸上の長距離出身で、格闘技未経験であるが、入門1年でここまで
強くなった。

 過去に、全日本新空手道選手権を田中塾は1度制覇している。
 毎回レベルの高い大会で、選手達は各自テクニックをもっている。

 他の選手と比較すると、古河は劣っているが、持ち前の勇気と根性とスタミナで
相手をねじ伏せた、

 格闘技に一番大切な事を再確認した日にもなった。




平成24年6月3日

「残念」

 久々に日本の総合格闘技を見に行ってきた。

 この日出場した選手で、ロシアで通用する選手は誰もいなかった。

 何も感じる事が無く、途中で帰ろうとしたが、知人と会ったため、話をしながら
最後まで見てしまった。

 常日頃、ロシアの格闘技を見ている私の目には、その様にみえるのである。

 選手は、もっと気合い入れてやれ! ・・・ではあるが、ジムの代表者と指導者が
選手達に技術的な事だけでなく、もっと本質的な戦い方を教えて伝えていかなければ
ならないのである。

 そして選手達は、ただいろんなジムに出稽古に出て、スパーリングして、ウエイトトレ
やって、プロティン飲むだけでは一つの技は完成しない。
 間違えて国内一になれる事はあるだろうが、ロシア等の世界の選手と戦うことは、
論外であり、勝つことは夢であろう。


平成24年5月1日

「ロシアパンクラチオン極東大会」

結果速報!

瓜田幸造・1RKO勝ち

斉藤曜・1RKO負け

二人共よく頑張った!





平成24年4月29日

「出陣」

 ロシアパンクラチオン極東大会へ出発。

 出場する瓜田幸造と斉藤曜、二人のサムライに期待して、いざ出陣!


平成24年4月12日

「ゆうめいじん」

 有名人は、数多くいる。
 身近にもいる。

 有名人を目指す者も多くいる。
 腐るほどいる。

 だが勇名人は、数える程しか存在しない。
 勇名人を目指す者も数少ない

 有名人の中で、勇名人になれる人間が、極稀にいるが、ほぼ皆が背を向け
真実から逃亡する。

 有名人が悪いとは思わない。
 しかし、人生を終え、一生涯終えて、最後に心の底から笑える者は、勇名人を
めざしてきた者と勇名人なのである。



平成24年4月7日

「八日通り」

 いつも通る道に名称が付けられた。

 「はっぴい通り」

 ハッピーになれる事を期待したい。




平成24年3月18日

「新空手」

 本日の新空手に田中塾から2名出場した。、

 古河は勝ち、Kー3グランプリ全日本出場が決定した。

 Kー2出場の亀甲は、負けて、試合内容も悪く最悪であった。


 どんなルールで、どんな格闘技でも、気持ちで負ける事は最悪の結果になる。

 一番重要なのは心なのである。




平成24年3月12日

「勇名人」

 矢吹丈のような若者は、もう日本には、いなくなってしまったのだろうか?


 いや、まだいると信じたい。


 私はいつでも待っている。





平成24年2月27日

「ロシアの恩人」

 ロシアパンクラチオン代表のコニコブ先生が来日し、私と大会の打ち合わせをした。
 UFCも観戦して行く。

 私は、掣圏道時代から、ロシア人の強さに魅了された。
 何故ロシア人は強いのか!?
 現地で確め、視察するために、今から8年前に1人で極東ロシアに旅立った。

 知り合いはいなかったが、片言のロシア語を頼りにロシアの地を踏んだ。
 だが、道行くロシア人にジムや道場を聞くが、なかなか見つからない。

 私は路頭に迷い、レーニン広場で疲れた足を休めていたら、近くで数人の
マフィアがたむろしていた。
 彼等に聞けば必ず分かるはず・・・と思い聞いてみると、携帯で誰かを呼び、
数分すると、屈強な男3人がこちらに走って来た。
 すると、彼等が道場を案内してくれた。

 道場にに入り、そこでコニコブ先生に出会った。

 気がつけば近郊の道場のボス達が集まっていて、ロシア料理をごちそうに
なり、共に練習をした。

 翌日のシベリアTVに生中継で出演することになり、コニコブ先生の道場の
選手とスパーリングを行い、インタビューに応じた。

 日本に帰国後、翌月には私の道場から選手を連れてロシアで試合を行っていた。

 そして現在は、年に2、3回、日本人選手とロシアに行くようになり、日本と
ロシアのパイプを結ぶことができた。

 格闘技意外の事でも、コニコブ先生はお世話になった恩人でもあるのだ。


 来るべき!4月29日ロシアパンクラチオン極東大会日本人出場選手を募集中!





平成24年2月16日

「:今月のスタミナ」

 牛すじ煮込みを食べるなら、船橋駅前「しんざん」。
 もうここで5年以上食べ続けているが、最初の頃と今の味付けが、マスターの
改良により、少しずつ変化して今が一番良い味だと私は思っている。

 店のマスターとは、よくいろいろな会話をする。
 共に国際結婚でもあり、話がはずむ。

 あまりにも熱く会話が続き、後から来た客に奥さんが作り始める事もしばしばある。

 そして私にはいつも、食後はマスターがリンゴを剥いて出してくれるのである。




平成24年2月9日

「成田山」

 今年初の成田山に行って来た。
 1月の成田山は大勢の参拝客で、人混みの嫌いな私は、あえて2月の
平日に行くようにしている。

 無心になり、この日も不動明王様へ心で語りかける。

 今日は晴天だから、平和の大搭も、より美しく見えた。

 私独自の成田山内の周り方があり、この日はいつもと逆の周り方で歩いた。

 いつもと少し違う風景も良かった。
 やはり、心が落ち着ける場所である。






平成24年2月1日

「ロシアパンクラチオン極東大会」

 今年の極東大会は、3月24日、ロシアのブラゴジェシンスクで行われる。
 今回は、60キロ~77キロの軽量級・中量級の階級となる。

 同じ体重では、ロシア選手に勝つのはほぼ不可能な為、体重ハンデによる
試合も可能。
(例、日本選手70キロVSロシア選手65キロ)

 温室育ちの日本人総合格闘技選手達、たまには真実の世界で戦ってみては
どうかな?

 勇気ある出場希望者は田中塾まで。




平成24年1月10日

「武道の神様」

 今年の鹿嶋神宮と香取神宮の参拝は、道場生を数人連れて行ってきた。

 今年も、道場で事故や怪我の無いようにと、そして皆は目標を願い参拝する。








平成24年1月7日

「真樹日佐夫」

 昨年12月、真樹先生から
「田中と話がしたいから今度会おう。後で俺から連絡するからあまりくよくよするなよ!」
と私の両肩を正面からがっちり叩き、その場は別れた。

 この時、「何か」を感じる事ができなかった事に私の修行不足を痛感している。

 真樹先生が、何か私に言いたい事があったんだ、と思い、私は後悔している。

 「エバーモア」は永遠に聞き続けます。

 ありがとうございました。
 ご冥福をお祈りいたします。


平成24年1月1日

「元旦」

 元旦から道場で稽古する者がいる

 サンドバッグを打ち、蹴りまくる男がいる

 腕立て伏せ1000回始めるバカな男がいる

 マットに溜まった汗を見て充実感を感じているバカな男がいる

 銭湯の熱湯を水を出さずに我慢して浸かってるバカな男がいる

 だがこの男がゆく道は間違っていない事だけは確かである。


平成23年12月29日

「山田軍団」

 山田英司率いるフルコムの忘年会!?に招かれ、参加させてもらった。

 やっぱり、皆変わり者だった。

 格闘技の話、昭和日本の話、失恋話等、いつもと違う方々との話が楽しかった。




平成23年12月26日

「田中塾忘年会」

 今年も船橋某所にて、田中塾忘年会が行われた。

 皆、忙がしいようで全員参加とならなかったが、今回も豪華な食事を食べながら
一人ずつ来年の抱負と目標を聞かせてもらった。










平成23年12月22日


「歯医者」


 今年の4月から歯医者に通い、先日やっと終了した。

 私が歯医者に行くのは20年ぶりであった。

20年の間、歯が痛くも何ともなく、歯が痛いというのは、どのような痛みかを完全に忘れていた。

20年も歯医者に行かない事が逆に恐くなり、知人の歯科医から「絶対に行ってレントゲンをとった方が良い」と言われ、都内の知人が院長を勤める歯科医院に行き診察を受けた。

 すると、「歯の根の奥に膿が溜まっていて、顎の骨が少し溶けだしてますよ。」

と言われ、

 「えっ!?何でですか痛くも何ともないですよ!?」と答えると、
 「それは神経が死んでるからですよ」との院長の回答であった。
 私は恐怖を感じ、顔が青ざめた。
 毎日しっかり歯を磨いて見た目もきれいだが・・・?

 これは「歯根嚢胞」という、歯の根の先端に膿が溜まり、それが悪化すると脳や内臓にも行き渡ってしまう、という恐ろしい歯の病気である。

 そして通院の日々・・・私の口の中で院長の容赦ない攻撃が始まった。
 膿の袋まで、針金のような器具を使い、ヤスリがけのようにガツガツ入れては出しの作業が繰り返され、次にドリル器具が歯を砕き、そして歯の根本を「グサリ」と切られた。

 さらにそこから、マイナスドライバーとほぼ同じ器具(工具)でガツガツ掘られ、膿を取り除く作業が始まった。

 まるで口の中での道路工事だ!!

普段は優しい院長だがこの時は鬼となった!!

 私は顎関節に後遺症があり、長時間口を開けられない為、院長と作戦を立てながらの手術となった。

 そして戦いが終了した。
 院長が疲れきった表情になっている。
 私はその倍疲れた。

 みなさん、歯は痛く無くても定期的に診察に行った方が良いです。



平成23年11月24日

「武道掣圏」

 12月6日に「武道掣圏」が後楽園ホールで行われる。

 田中塾からは、久保田真樹と和地康彦が出場する。

 現代武士道の戦いが始まる。




平成23年11月18日

「引っ越し」

 先日、引っ越しをした。
 22歳の時に実家を離れてから現在まで計7回目の引っ越しとなる。

 皆、引っ越しをする理由は「駅近」、「広さ」、「環境」等、いろいろあるだろう。
 が、今回は、複雑なトラブルによる引っ越しとなった。
 被害を受けたのはこちらであり、ただで引いた訳ではない。
 まあ、また「この風貌」で誤解を受け、損をしたというのが、いろいろな理由の中の1つで
ある。

 私の人生は、足踏みし、途中立ち止まる事もあるが、直ぐに前に進むようになっている。
 これもまた自然の成り行きだと思っている。

 荷物を運び終わり、元の部屋を見渡すと、思い出があり少し寂しい気持ちにもなってくる。
 しかし、新しい住居は景色が良く、空がよく見えてスカイツリーも見える。
陽当たりも最高だ。

 それにしても前回に続き、瓜田の引っ越しの手際の良さはプロ級である。



平成23年10月23日

「相撲大会」

 友人の子供が出場する相撲大会を観て来た。
 
 船橋大神宮相撲大会は、大正18年、徳川家康公が船橋に来た際に、
御もてなしのために、子供達を集めて行われたことが起源である。
 昭和21年から、正式に大会を行うようになった、とのことである。

 早く自分の息子が出場する姿が見たい・・・と思いながら船橋大神宮を後にした。




平成23年10月18日

「特訓」

 いろいろな事があり過ぎ、忙し過ぎる毎日だ。

 今日は、興議館から、瓜田、斉藤、真下が出稽古に来た。
 12月の武道掣圏大会に備え、出場選手の特訓である。

 怒鳴りながら指導したら、途中で現在治療してる歯が痛くなったが、
吠えて怒鳴りまくった。

 みんな頑張っていた。

 時には昔の私自身に戻る事も必要である。






平成23年9月24日

「東京武道館・新空手」

 田中塾が久々に東京武道館に登場し、2名出場した。
 
 古河は、60キロ級3位となった。
 陸上長距離出身で、格闘技未経験だがよく頑張った。

 亀甲は、70キロ級準優勝となった。
 前にいたキックボクシングジムでは、良く指導してもらえず、うちに来た。

 2人共、才能はある人間ではないが、真面目に真剣にやる者は、私は見捨てず真剣に指導する。

 私が決めた、私自身の法律である。






平成23年9月14日

「黒帯」

 「お前が、苦難しながらも甦って、新しくジムを開いたから俺もまた本を作るよ!」

 半年前に山田英司は言った。

 そしてついに発売した。

 私と同じく、一本気で不器用な男であるが、格闘技の本質的な部分にこだわり、共に頑張っていきたい。

 山田英司編集長
 創刊おめでとうございます。
 押忍




平成23年9月4日

「竹山晴友」

 私の兄貴分である竹山さんの店「シャンゼリゼ」が閉店する為、最後の日を飾るために、竹山さんの奄美大島の友人と空手仲間達や佐山先生、その他大勢の方々が駆けつけた。

 この日も私は熱唱した。

 最後締めは、佐山先生のタイガーマスクの歌で幕を閉じた。

 竹山さんお疲れさまでした。

 佐山先生と竹山さんと外を歩くと、夜風が涼しく、夏が終わろうとしていた。



平成23年8月28日

「帝王  水木一郎」

 私が尊敬する数少ない人間の中の一人である。
 説明はいらない誰もがこの男の声を聞き育ち成長してきた。
 私は、何度も救われた。

 新しいアルバムが出た。
 その内歌ってくれるだろうと思っていた、タイガーマスクが収録されている。二世も良いが、初代がついに出た。
 キャプテンハーロックも新録でとても良かった。
 毎日事件で思い悩む私を勇気ずけてくれた。
 水木さんが、どんな気持ちでこのアルバムを作ったかひしひしと伝わってくる。

 初めて水木さんとお会いした時に、私は緊張して、足が宙に浮いていた事を覚えている。

 しかし初代タイガーマスクの歌だけは師である佐山先生が唄うのが一番で最高である。



平成23年8月7日

「プレゼント」

 田中塾生の金木からタイガーマスク二世のTシャツ(非売品)をもらった。

「塾長の誕生日まで全種類そろえますよ!」とのことであったが、

かなりの困難だったようで、誕生日を過ぎてしまった。
 しかし、見事に全て揃えてプレゼントしてくれた。

田中塾には様々なジャンルの「オタク」がいる。
 おかげで助かる時がある。

私の特権でもある。




平成23年7月23日

「惨敗」

 立原が1R変形裏腕十字で1本負け。
 大石が1R顔面膝蹴りでKO負け。

 ロシアパンクラチオンのロシア人相手に、当然といえば当然の結果であるが、軽量級実力者の大石が簡単に殺られるとは思ってなかった。

 相手のロシア人はこの日がプロデビュー戦である。


 多くの日本人選手が、ロシア行く事を、恐怖で断わる中、挑んだ2人の勇気と精神を私は認める。

 これが真実の世界である






平成23年年7月15日

「成田空港」


 成田空港は、私にとって、「不安」と「期待」と「感動」などが入り雑じった場所である。
 何回来ても緊張感がこみ上げてくる。

 二人の日本人らしい戦いに期待する。

 私にも戦いが待っている。

 
 また、何かありそうなロシアにいざ出陣!




平成23年7月13日

「ブラックジャック」

 7月7日、42才になった。

まさかこの歳になって、格闘技を続けているとは、昔は思わなかった。

 それどころか、体力は落ちたが、今も現役選手とスパーリングして、また試合をやろうか?と思う時があるぐらいだ。

 25年以上格闘技を続けてきた身体は、当然、怪我で壊れている。
 特に、顎の顎関節と足の股関節が悪く、階段を降りる時、痛くて大変であった。


 だが、いつもお世話になっている、整体の後藤先生に治療していただいたところ・・・・・不思議だ!? 痛みが消えた!?

 ブラックジャックは実在する!



平成23年7月9日

「ロシア大使館」


忙し過ぎる毎日だ。

その合間に、ロシア大使館へパンクラチオンに出場する選手のために、発給されたビザとパスポートを取りに行く。



 ロシアに入国する為には、ビザ以外にバウチャーが必要となる為、とても手間暇がかかる。

ウクライナは、ビザ無しで入国可能になったが、日露関係はまだまだ複雑の状況にある。



 ロシア大使館に行く事30回以上になる。

始めの頃は、近くまで来ると警察に囲まれ、必ず職務質問をされた。

今ではもう、顔も覚えてもらい、警察と機動隊にお互い挨拶して、すんなり入れるようになった。

 私は何故か、眼力の無い警察官から、時々、職務質問をされる。

その中で、最も職務質問された場所が、ロシア大使館である。




平成23年6月11日

「ロシアパンクラチオン極東大会」

7月16日、ロシア・アムール州ブラゴジェムスクでロシアパンクラチオン極東大会が行われる。

今回の挑戦者は、大石真丈(元修斗フェザー級王者)と立原基大(掣圏道、武道掣圏出場)が挑む。
 今回は極東大会で、世界大会に比べるとレベルは下がるが、未知の強豪ロシア選手が出場してくる事は揺るぎない。


 私はよく、「ロシアの選手はやっぱり強くて凄いですか?」「〇〇選手より強い選手いますか?」など格闘技関連者や選手から聞かれる。

私は15分、30分、1時間ぐらいと答えている。

その意味は、日本のチャンピオンレベルなら、ロシアに行けばすぐ見つかる時間の事を言っている。

 もっと「ぶっちゃけ」の事を言えば、

「ロシアに行かなくても、新潟港で中古車を売買している格闘技をやってるロシア人でも十分だよ。」と言うと、「そんな馬鹿な!」と皆が言う。

 桜木と瓜田も出場する前はそんな感じだった。

だが、経験してきた2人は今十分納得している。

 総合格闘技ファンには、夢がなくなる事を言うようだが真実は真実なのである。

 格闘技は、最高峰の世界と低い世界がある。

もちろん、どちらを目指すのかは選手の自由であるが、温室育ちの日本の総合格闘技選手達は、たまには強い世界に入る勇気も必要であると私は思っている。

 私は、真実の世界しか興味がない。



平成23年5月18日

「山田英司」

 先日、山田編集長が取材に来た。

 新しい格闘技雑誌を創刊するそうだ。

 この男とは長い付き合いになるが、私と性格がよく似ている部分がある。
 格闘技の、本当の本質的な部分に、常にこだわり続けるこの男が作り上げる新しい格闘技雑誌に期待する。



平成23年5月15日

「ナイスミドル」

今月22日のナイスミドルに出場する、
カイザー準也が気合い入って、頑張っている。燃えている。

みんなも、それに影響され燃えている。




平成23年5月6日

「正義が力」

伊達直人も好きだが、亜久竜夫を忘れてはならない。

タイガーマスク二世のオープニング 「力が正義ではない!正義が力だ!」
この叫びは、今の日本人格闘技選手に一番必要な言葉である。

もう一度、振り返って観てみるとしよう。




平成23年4月30日

「多忙」
 

毎日が忙しすぎる、毎日が事件である。

特にここ一年は、ある出来事に困り続けていた。

こちらの立場が被害者であるが、相手側の悪徳で加害者にすりかえられそうになった。

が、その分野の知人の手助け等々もあり、元の被害者に戻る事ができた。

複雑な揉め事は、私の判定勝ちは確定になった。

当然である。
 完全に完封しようと思ったが、正義は必ず勝つ為、決まった内容で相手を許す事にした。

 礼儀も秩序も、真実を見極める眼力もない人間があまりにも多すぎる。

警察官の中にもいる。

しかし真実は一つであり、最終的に正義が勝つのである。


平成23年3月18日

「武道掣圏」

 3月25日に開催を予定した「武道掣圏」は、大震災の影響により5月24日(予定)に開催日が変更になりました。



平成23年3月17日

東日本大震災」


 大震災で大きな被害に遭われた方々、

現在まだ安否不明の状態にあるご家族、友人を持つ皆様に、お見舞いを申し上げます。

心より、1日も早い復旧をお祈り致します。


今思えば大震災の前日、道場での練習中に予知する出来事があった。

昔からお年寄りの行動や、生き物がとる行動は、必ず意味があると言われるが、まさにその通りだと思わせる日であった。


田中塾道場生へ

 日中、道場は電気も必要なく、日当たりが良く暖かい。

 計画停電が18時~22時となった日は昼間の時間を開放する。

練習する者は電話で確認の事。



平成23年3月4日

「武道掣圏」

 3月25日、後楽園ホールで第一回大会が行われる。
 田中塾からは和地康彦が出場する。







平成23年2月26日

「シベリア鉄道」

 テレビ朝日で放映されてる「世界の車窓から」が、現在シベリア鉄道だ。

 私が初めて、シベリア鉄道に乗ったのは、3年前だった。
 その時は、ウラジオストクから妻の実家コムサモリスクまで、25時間の列車の旅だった。
 目的は、生まれた息子に会いに行く為だ。
 日本で出産予定であったが妻が、初出産で不安もあるだろうと思い、実家に帰省させた。

 一般的には、ハバロフスクからはモスクワ方面に行く人が多いが、私は、そのまま、ひたすら北に進んだ。

 シベリア鉄道は、日本の新幹線のようにスピードも速くなく、快適とは言えない。
 トイレも、駅に近づいてる時と停車してる時は使えなくなる。
 理由は、想像すればわかるだろう。

 窓の景色は、広大な草原と大地と白樺がひたすら続く。
 夕日は真っ赤で美しかった。

 コムサモリスクは、KGBの本拠地でもあるため、入るには許可証が必要である。
 ハバロフスクの仲間が申請を手伝ってくれて、妻が現地の人間であるため、すんなり許可証が認可された。
 それどころか、滞在中、KGBの特殊訓練の模様も見学する事ができた。
 内容を語る事はできないが、スペツナヅとはまた違う特殊な訓練であった。

 とにかく、駅に到着して、妻が抱いている息子に初対面した時は、感動して嬉しかった。
 そしてシベリア鉄道・・・これは鉄道マニアでもない限り、あまりおすすめはできない。



平成23年2月16日

「パンチ(ロシアンフック)」

よくキックの選手や総合の選手に質問される事があるので大まかに説明する。

 オーソドックスで左フックの場合、まず構えの状態から拳と顔の位置は動かさず上体を右に回す(パントマイムのような感じで)。
 肘の角度は、90度で横から打つのだが、この時、起動方向を急にストレートパンチに変える。

 ストレートパンチに変えると同時に、肘を上に上げ、肩の筋肉を頬にぶつける。
 ちょうど手の甲が相手の横顔に当たる感じになる。
 右のガードも忘れてはならない。

 足は、左足の親指方向を相手の顔面に向け、親指の付け根を踏み込む。
 これが一体になり、相手の顔に当てればほぼ確実に倒す事ができる。
 顎以外の所に当たっても、かなりのダメージをあたえる事ができる。

 このパンチの長所は、
 相手の視界から読まれ難い、
 遠い間合いからも打てる、
 拳を痛めない・・・等々だ

 プロボクシングの試合で、このパンチを使う選手をたまに見かける。

 選手で、「フックが得意だが相手に当たらない。相手が倒れない。」といった選手は、これを練習して実践すると良い。

 私は、最近、佐山先生の動きをヒントにして、新しい右フックを完成した。

 これは、相手からは、突然上から丸太が落ちてきたような攻撃になる。
 ベンチプレスなどウエイトトレーニングをしている選手には、このパンチは最適である。
 機会があればまた説明するとする。









平成23年2月5日

「チェブラーシカ」

ロシアの人気者チェブラーシカ、ロシア雑貨輸入販売始めました。

チェブラーシカは、腕を押すと、あなたに語りかけます♪


平成23年2月4日


「銭湯」


 寒い日は銭湯で湯に浸かるのが一番である。

この銭湯はとにかく熱い!
 はっきり言って熱湯だ!

色は麦茶色のラジウム鉱泉で、入った後は翌朝まで体がほっかほっかになる。


 初めてここの銭湯に入ったのは4年前で、その時はあまりの熱さで蛇口から水を出したら、「水だすんじゃねぇ!」と、おじいさんに怒鳴られた事があった。

そのおじいさんは普通に入り、目をつむり10分ぐらい浸かっていた。

後になって解ったが、最初に我慢して入り、出て、2度目に入るとちょうど心地良い湯加減になるのである。

だから2度目に入る前に、誰かに水を足されると、最初の我慢と2回目の絶妙な湯加減が台無しになるため、おじいさんが怒鳴った気持ちもよく解る。


 今日も来た人達も、皆、誰も水を出さないで我慢して熱湯に浸かっていた。

2度目の心地良い湯を求めて…



平成23年1月25日

「長渕剛」

 知人からのご招待で、長渕剛さんのコンサートに初めて行って来た。

 好きな曲も2曲ほど聞く事ができてとても良かった。

 代々木第一体育館に入る事も初めてであった。



平成23年1月16日

「武道の神様」

 香取神宮と鹿島神宮に参拝に行って来た。
 道場での怪我や事故の無いように、道場生が試合に勝利するよう参拝してきた。





平成23年年1月11日


「極寒」

 極寒と言うには程遠いが、昨日・今日は寒かった。寒くなると冬のロシアを思い出す。



-30℃の冬のロシアに数回行ったが、これは「寒い」次元ではなく、命にかかわる問題になってくる。

ホテルから道場まで車での迎えが、1日来れない日があり、私は2キロ程の道を歩いて行った。途中で頭痛になり、少しずつ眠くなってきたのだ。これはヤバイと思い走り始めた事があった。



寒い時期が長いせいか、ロシア人はサウナが大好きで、私もロシアの仲間達とよくサウナに行く。

サウナ室は110℃だが、石に水をかけると、一気に130℃まで高温になる。

130℃になると、爪が痛くなる。爪が隠れるように手を握っていないと、痛くて耐えられなくなり、腕の脇と内ももが痺れてくる。

限界になったら外に出て、凍った池を大きな餅つきに使うようなハンマーでぶち割り、その池に飛び込む!そしてまた130℃サウナに戻る!

私はウォッカを飲めないため、飲むこと以外で、皆とのコミュニケーションを道場以外でもとらなければと思い、これを一緒に3回繰り返し実行した。

おじいさんと子供もやっている。

彼等は言った「これは体に良いんだ。」



 街の通りには、達磨のように防寒着を着込み、屋台でアイスクリームを売っている人達がいる。

毎回思うがロシアは不思議な国である。


 だが郷に入れば郷に従えである。



平成23年1月5日

「新年」

新年明けましておめでとうございます。

私の元旦は、毎年一人道場で練習するか、外でロードワークする事で新年が始まる。


今年は、道場内を換気する理由もあり道場に行く。入るとやはり臭い!

30日に井手本(MAキック元ウェルター級1位・現塗装業)が、道場内の一部に防腐剤を塗るために、茨城から来てくれた。道場設立時も、井手本が見事に美しく塗装してくれた。

 私は真面目な青少年であった為、彼のようにシンナー、トルエン等に慣れてなく、この目にしみる悪臭に耐えられず道場での練習を中止し、窓を開け、ロードワークを行った。

その後は、場末の銭湯に行き、湯に浸かりながら「今年も気合い入れてくぞ」と自分に誓う。

道場に窓閉めに戻ると、やっぱりまだ臭い!早く道場生の熱気で消さなければいけない!


そんなわけで皆さん今年も頑張りましょう!


平成22年12月31日

「スーパータイガージム田中塾」


 今年も終わる。

普通の人がめったに起こらない出来事が、私には普通にしょっちゅう起きている。

驚く事には慣れてしまっているが、今年は特に波瀾万丈、喜怒哀楽が凄かった。しかし、何はともあれ、道場を新しく
構える事ができて嬉しかった。

道場開きにお越し頂いた方々をはじめ、多くの皆様方のご支援のおかげであると思っています。



道場名を、格闘結社田中塾からスーパータイガージム田中塾に改名したのは、
先輩である渡部優一(興議館館長)先輩と共に、スーパータイガージムの名を消したくないという思いと、
私が総合格闘技を始めた原点に戻る意味から改名しました。



格闘技術だけを指導するだけでなく、「心」の部分も指導していきたい。

来年はまた新たな心で1月5日からスタートする。

それでは皆さん良いお年を




平成22年12月26日

[息子」
 


 息子を見てると恐怖を感じる事がある。

それは息子の分厚い手のひらと、異常に大きい足の甲と指だ。それを見ると、私はヒクソングレイシーと「はじめ人間ギャートルズ」のドテチンを思い出す。

24歳の時、アメリカのヒクソンの道場で、ヒクソンとスパーリングした時の第一印象が、彼の動物のような足であった。

息子が1才3ヶ月の時、2リットルのペットボトルを頭上まで持ち上げ、投げつけ、怪力となる素質をみた。
 さらに妻の伯父は、2メートル近い巨人の人で、隔世遺伝で息子も巨人
になるかもしれない事も判明した。

息子の来るべき反抗期に備え、私は今日も鍛え続ける。



平成22年12月20日

「成田山」


 私の心が、安らぐ場所の一つが成田山だ。

成田山の中に平和の大塔があり、その中に不動明王様がいらっしゃる。

田中塾のマークとして使わせていただいている事もあるが、私の悩みや迷いを全てここで語りかける。
 会話が出来るわけではないが、何故か背中が熱くなり、力強い「何か」をいただいた感じになる。
 信じる信じないは別として、最悪の状況の時も、何とか構え直す事ができている。

そして中には、「撫で不動様」もおられる。身体の痛む所を撫でると、痛みがなくなるという。
 写真は、この位置からの平和の大塔が最高だ。上に飛行機が通った瞬間が絶景だ。



平成22年12月14日

「ロシアパンクラチオン」

ロシアから先日のパンクラチオンのDVDが送られてきた。

ロシアパンクラチオンとの出会いは、2004年11月、単身ロシア格闘技視察の旅だった。初めて見たロシアの総合格闘技を観て、私は衝撃をうけ、感化され、感慨無量となった。

私自身、それまでやってきた日本総合格闘技の理念が吹き飛んだ。

その時点で、日本の総合格闘技には、興味がなくなってしまった。

 さらに上の世界、いや本当の真実を見てしまった以上、見て見ぬふりはできない。

ロシアの格闘技とロシア人の国民性、ロシアの強さに私は魅了された私は、パンクラチオンと正面から向かい合う事を心に決め、戦いが始まった。

 2005年4月後輩の瓜田が先陣で、共にロシアに乗り込み、パンクラチオン公式戦に挑戦した。結果は惨敗だ。半殺しにされた。

やはり、思っていた通り、ロシアには本物の強い選手が多くいる。
 ロシア人に勝つ為に、体力、技術、精神論を考え研究した。殆どのロシア人に共通する弱点も発見した。精神論は、根性論と同じだと勘違いする人もいるが、全く別の論理である。それは、ここでは説明が長くなるので書かない。


 そして、2007年5月、ついに桜木がロシアから念願の初勝利となり、2009年10月にはタイトルを獲得した。

多くの日本人選手がパンクラチオンの試合を拒否する中、後輩の桜木と瓜田の勇気ある挑戦と勇姿は、今でも私の記憶に新しく残っている。

 現在、日本の総合格闘技は、真の実力者を決める訳でなく、興業論的におこなっていると話は聞くが、私は本当の真実の強さと本質的な最強論に、一生こだわり続けていきたい。



平成22年12月10日

「今月のスタミナ」

 行きつけの料理店船橋某所で栄養補給。しゃぶしゃぶで和牛のこの厚さ!ここではこれが普通である。この後も驚く料理がでてきた!



平成22年12月5日

「忘年会」

 今年の忘年会も、船橋某所だ。ちゃんこ鍋を中心にいろんな料理が登場して、相変わらず全て絶品の味だった。




 


平成22年12月5日

「道場」


 趣味で楽しく格闘技をやる者、痩せる事が目標でダイエットトレーニングをする者、プロになるつもりはないけどアマチュアで格闘技をやる者、プロでチャンピオンを目指す者、道場生それぞれ頑張っている。






平成22年11月28日

「学生キック」

 気合い入ってる学生達の前に前に出て戦う姿が観ていて気持ちよかった。
飛鳥さんの門下生の関根選手、2階級制覇の勝利おめでとう!
卒業後は総合格闘技をやるようだ。




平成22年11月26日

「ボディーガード」

 本日は女優○○様の身辺警護。TVでたまに拝見するが悪役的なイメージがあるが、
実際にはとても謙虚で礼儀正しく清楚な方であった。

 警護は数時間程で無事終了した。人間、誰もが様々な悩みを抱えて生きている。
人に観てもらい見られている方は、一般人と違う悩みや困り事がある。

 私は警察官ではなく民間の警護員であるため、拳銃を所持する事はできない。だが、拳銃を抜いて発射するまで、訓練してる者でも3秒かかる。この3秒の間に、その時の状況でできる事がある。刃物の場合もそうである。

 しかし依頼者を危険な状況にあわないように、常に先を想定して警護する事が大前提であり、ボディーガードが必ず格闘技経験者でなければ駄目という訳ではない。暴漢や警戒者と格闘するのは、最後の手段である。
 しかし、日頃から格闘技の練習と心構えをする事で、余裕と自信がでるものだと私は思っている。

 私もまだまだ修行の日々である。


平成22年11月21日

「銭湯」

 船橋は銭湯のメッカでもある。俺は週に一度は必ず銭湯に行く。引っ越しする場所も近くに銭湯があるか確認してから決める程銭湯が大好きである。徒歩圏内に7ヵ所あり、全て昭和の風情漂い、湯に浸かってる時はとても心地よく心と体を癒してくれる。
 今日は共にトレーニングしてる小林さん家の経営してる多丸湯だ。ここの銭湯はサウナと水風呂付きでサウナ室はいつも演歌が流れている。




平成22年11月14日

「今月のスタミナ」

 船橋某所の行きつけの店、ちゃんこ鍋が旨い季節になってきた。
 親方がスペアリブも料理してくれた。次回はどんな料理がでてくるか楽しみである親方の作る料理は味と量共に最高!文句なし!




平成22年11月4日

「スーパータイガージム 田中塾」

 10月3日新道場オープンして1ヶ月になるが、それまでの数ヵ月間は本当に気が狂う程忙しかった、私に関する行事がロシア遠征含め10月に集中してしまった為である5分に1回ぐらい携帯が鳴る状態が続いたがなんとか無事に終わった、そして道場開きにはたくさんの方々がお祝いに来て頂き私は本当に嬉しかった。

 現役時代に共に汗を流した仲間、先輩と後輩と先生方キック名王者の先輩達、そして西村社長と佐山先生、他格闘技関係の方々本当にありがとうございました。






スーパータイガージム田中塾 公式HPです。